第32回 ノーラン・ライアン-(島田 健=日本経済)
◎豪腕を讃える履歴書
▽カントリー歌手が作詞作曲
2019年(令和1年)10月、400勝投手の金田正一さんが亡くなった。球界に貢献した名選手の訃報が一時世間を騒がせたが、あっという間に忘れ去られた。レジェンドでもこんなものか思ったものだ。
米国では、名選手を標題にした歌が多い。それも結構有名な歌手が歌い上げている。「ミスター・ボージャングルス」で名を売ったカントリー歌手のジェリー・ジェフ・ウォーカーが取り上げたのが西部の英雄だった。90年に公開され、91年にアルバムに載った「ノーラン・ライン(僕らみんなのヒーロー)」は豪速球投手の4チームでの活躍をを素直に讃えた唄である。
▽生まれはテキサス
「話はテキサスで始まる そこで彼は熱波で鍛えられた アルヴィンで育った少年は自分の速球がまだまだと感じると 鍛えに鍛えた末に 西部じゃ1番速いと評判になった」「ドラフトでニューヨーク・メッツに入り シェイ球場で投げ始めた ミラクルメッツの一員としてワールドシリーズに優勝した それでも控えめで自慢することはなかった 次はカリフォルニアで西海岸の歴史を作ることになる」
▽エンゼルスで4回のノーヒッター
唄は淡々と事実を綴る。エンゼルスのトム・モーガン投手コーチの協力を得てフォーム改造に成功し、ノーヒット・ノーランを4度達成、100マイルを超す速球で“ライアン・エクスプレス”と呼ばれるようになった。8年のあとアストロズに移って5回目、さらにレンジャーズに行って6度目を記録する。43歳になってまだプレーし、奪った三振は5200個、ノーヒッターは6度、300勝に中で57回が完封勝利。
▽記録はさらに伸びた
実際に唄が完成したのは89年ぐらいで記録もその年まで。46歳で引退したときは歴代1位5714奪三振、324勝61完封。ノーヒット・ノーランは2位サンデー・コーファックスに3回差をつける7度目となった。
脚を高く上げてひたすら打者に投げ込む姿から、リフレインは「ノーラン・ライアン 僕らみんなのヒーロー ノーラン・ライアン まっすぐ立って 高く脚を上げる 少年たちの夢を壊さない 彼はひたすら速球を投げるだけ」。こんな唄があれば人々の心に永遠に残るではないかと思わされる。
検索は「Nolan Ryan(He’s a hero to us all) (了)