「菊とペン」-(菊地 順一=デイリースポーツ)

◎どうしてばれた、尻に火事件
現役の記者時代は取材対象に迷惑をかけたことが多々あった。いま、思い出すと恥ずかしい限りだが、今回はその1つを。
 その日は後楽園で巨人対大洋(現DeNA)戦の取材である。当時、私は大洋担当で、監督は関根潤三さんだった。なぜか、その日、球場入りが遅れた。大洋の試合前練習がほぼ終わりかけの時間だった。三塁ベンチに顔を出したが、後片付けの最中である。だれもが忙しそうにしている。
 取材なんてできない。まあ、いいか。仕方ない。自分を納得させて記者席へ。試合開始直前、目の前の電話が鳴った。デスクからである。
「試合前の雑感はどうした?」
地方に行く新聞、いわゆる早版用の短い原稿を出していなかったのである。
取材していないのだから、出せない。当たり前だが、デスクには言えない。球場入りが遅れたのがばれる。
 その時、試合前に三塁ベンチから引き揚げる時、小森光生守備コーチが、「ああ、痛い痛い」とお尻を押さえていたことを思い出した。なんのためらいもなく、「痔(ぢ)」であろうと確信した。いや、思い込もうとしたのである。ちょうど、大洋は連敗中だった。
 で、早版雑感である。概略は「小森コーチが盛んにお尻を気にしていた。痛い、痛いと渋い顔だ。どうやら痔のようだ。チームも下降線をたどり、まさに尻に火だ」。
 まあ、地方に行く早版だし、チーム関係者はだれも読まないだろう。でも我ながらうまく書けたな。自画自賛した。
 翌日、早めに球場入りしたところ、某社の先輩記者が「オイ、小森さんがお前のことを探していたぞ」と。ベンチに顔を出すと、普段は優しい小森さんが、  
 「オレは痔じゃない!どうして痔になる」
とカンカンである。どうやら、練習中にボールがぶつかっただけのことだった。私、平謝りである。でも、次に疑問が。小森さんは都内在住、大洋関係者で早版地域に住んでいる人はいない。なぜ、わかった?
 小森さんは電車で後楽園入りしていた。総武線の車中で某審判員に会った。その審判員は千葉方面に住んでいた。世間話になる。
 審判員「あんた、痔なんだって?」
 小森「エッ、違うよ。そんなことはない」
 審判員「隠すなよ。あれは辛いんだ。オレはいい薬を知っている。相談に乗るよ」
 小森「だれに聞いた?」
 審判員「デイリーに出ていた」
 確か、小森さんはその審判員と数日前、判定を巡ってやりあっていた。こともあろうにケンカ相手から「痔疑惑」を掛けられて怒り倍増となったようだ。
 私、事情を話してとにかく「ごめんなさい」と頭を下げまくった。「小森のおじちゃま」(当時、我々は映画評論家・小森のおばちゃまに引っかけてこう呼んでいた)は最後は、
 「これから気を付けるように」
と私の謝罪を受け入れてくださった。小森さんは別れ際、こう聞いてきた。「ところで、その早版はどのくらい出ているの?」
  会社発表の数字を教えた。
「それだけの人がオレを痔と思っているのか…」
私、再び、頭を下げた。インターネットの時代、いまならもっと大きなトラブルになるだろう。迷惑を掛けたら素直に謝る。
その後も小森さんにはかわいがってもらった。(了)