「セ・リーグDH採用で球界が変わる?」-(山田 收=報知)
第10回 セはDH制にどう向き合ったか④
前回に引き続き、セ・リーグのDH制反対論の底流を眺めていきたい。かつてのセ・リーグ文書にあるその理由2項目を、今回は取り上げる。
②投手に代打を出す時機と人選は野球観戦の中心であり、その面白味をなくしてしまう
③投手も攻撃に参加するという考え方をなくしてしまう
②はかねて多くのプロ野球関係者から聞かされた言葉である。
「投手交代は試合における監督の大きな仕事であり、最も難しいこと」
と監督経験者は必ず口にする。マウンドの投手を続投させるのか、交代か。次にまわってくる投手の打順で誰を代打におくるのか。その一手で試合展開が変わるからだ。
ただし、それが野球観戦の中心と言い切るのは、余りにも監督目線に近いファンの気持ちではないか、と思う。よく言われる采配の妙なのか。次どう展開するのか、というのはファンにとっても野球というゲームが持つ推理への探求心を刺激してくれるのは否定できないが…。
③は9人野球信奉者のベーシックな考え方である。第8回の拙稿で紹介した1973年2月5日のセ・リーグ監督会議を報じた紙面が手に入った。パに先んじて指名打者(当時は指名代打と表記)制の導入を巡り、大監督たちが論陣を張った。
革新派の筆頭ともいえるヤクルト・三原脩監督は、
「プレーイングルールを変えれば、これまでにない新しい作戦が生まれてくる。監督は知恵を絞って相手をアッと唸らせる新しいアイデアを考える。野球はもっと面白くなります」
と魔術師の面目躍如だ。
対する保守派の代表格は巨人・川上哲治監督。
「野球は投げる、打つ、走る、捕るが4つの基本。もし、投げるだけ、打つだけという制度を認めたら、一つしかできないかたわの選手が次々に出てくる。それはプロ野球の発展につながらない」
と反論した。
これはもう、野球というスポーツに対する哲学の違いというしかない。ただ当時は、川上監督の考え方が大勢を占めていたのだろう。
しかしながら、この年からひとまず3年間の限定でアメリカン・リーグが実施する(結局は現在まで続いている)DH制について、セの方がパよりも積極的に論議したことは間違いない。
次回もセの反対論の源を探ってみたい。(続)