第42回 マイ・オウ・マイ(島田 健=日本経済)

◎名物アナに捧げる
▽マリナーズの声
 米大リーグではとにかく地元チームが大事。我がチームの試合は必ずラジオ中継があった。そこで各チームには名物アナウンサーが多く生まれた。
2010(平成22)年に亡くなったデーブ・ニーハウスはその一人だった。69年からエンゼルの実況中継に関わり、77年大リーグ拡張でシアトルにマリナーズが誕生してからはずっと専属アナとして活躍した。10年までの5385試合のうち5284試合を担当した。まさに球団の声だった。
▽決め文句
 もう古い話になったが、55年のNHKラジオ中継で解説者の小西得郎さんが「なんと申しましょうか」と咄嗟に語った名文句も日本にある。米国では長くやっているだけに、各アナウンサーには決め文句が多数存在した。
ニーハウスの場合はビッグプレーや大記録が出た時の「マイ・オウ・マイ」と本塁打の時の「イッツ・ウィル・フライ・アウエー」が特に有名だ。チームが95年に初めて地区シリーズで優勝したとき発売されたビデオのタイトルもマイ・オウ・マイ。04年にイチローが年間最多安打の新記録を達成したときの決め言葉も同じだった。
▽ラップで故人を偲ぶ
 83年生まれでシアトル出身のマックルモアーはまさに物心ついた時からのマリナーズファン。マックルモアー・アンド・ライアン・ルイスとして初のシングルリリースが名物アナに捧げる曲になった。10年発表の曲調は今風のラップであるが、一言一言が故人を思い出させる内容で、激しさよりも懐かしさを感じさせる。
出だしは「小さい頃は父と一緒に おが屑やクリーナーや苔に塗れたガレージで 冬が過ぎ春が巡ってくるごとに ラジオを囲んで KJRにダイアルを合わせた 聞こえてくる彼方のデーブ・ニーハウスの声はまるで神の声のようだった」
▽12年にブレーク
 曲は95年の地区シリーズも描写していき、実況も交えるが、地元シアトルでの子供時代を大いに懐かしむ。そして「それは我が街 我が子供時代 我が人生 ニーハウス マイ・オウ・マイ 安らかに眠れ」で終わる。
まさにシアトル市民のための唄であるが、2人は12年発表のアルバム「The Hiest」で大ブレーク。グラミー賞も獲得した。彼らが無名の時に出した曲として脚光を浴びることになった。ニーハウスの夢であるワールドシリーズ中継はかなわずに終わったが、この決め言葉は永く残りそうだ。
検索は「My Oh My Macklemore and Ryan Lewis」(了)