「評伝」ヤクルトのスカウト片岡宏雄-(菅谷 齊=共同通信)

◎あっぱれ選手発掘、約束を守った男
 オールドファンなら「アマNO1捕手」として覚えているだろう。浪商時代は甲子園で、立大時代は神宮での活躍を。
 1950年半ば、立大はエース杉浦忠(南海)4番の長嶋茂雄(巨人)主将でチームをまとめた本屋敷錦吾(阪急)らで黄金時代を迎えた。その1年下が片岡だった。レギュラーになったきっかけは「杉浦さんのカーブを捕れたのはオレだけだった」と言った。プロの打者がほとんどいなかった大きく鋭く曲がった変化球である。
 今ならドラフト会議で数球団の指名で競合しただろう逸材だった。ところが中日では投手への返球がまともにできなくなった。イップスだった。「期待の大きさもあって緊張したんだろうな。思うように腕を使えなくなってね」と本音を聞いた。
 けれども選手を見る目は卓越していた。2021年の日本シリーズを制したヤクルト監督の高津臣吾は片岡に見いだされた投手だった。亜大時代、高津は控えの無名。片岡は「球に力がある」と捕手出身ならではの目で素質を見抜いた。高津は抑えとして何度も優勝に貢献する名クローザーとなった。
 この高津の投球を受けた古田敦也は片岡の男気によってプロ入りできた選手だった。古田については各球団が「眼鏡をかけた捕手は、どうもね」と指名しなかった。片岡は古田に「必ず指名する」と約束。ドラフト会議当日、監督の野村克也が反対するのを押し切って指名した。名将と呼ばれた野村に逆らう男はだれもいないのにである。
 「まじめなアマ選手を騙すようなことはできない。古田は期待に応えてくれた。それがうれしい」と片岡は後年語っている。この一件から片岡と野村に溝ができたという。片岡はその後、巨人監督だった先輩の長嶋から「巨人へ来い」と誘われたが、断っている。「ヤクルトへの恩義がある」と。
 選手、コーチ、新聞記者…。この経験がスカウト業に役立った、という。全国の野球人を見る目は、豊富な人脈に裏打ちされて実に広かった。(了)