「100年の道のり」(51)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)
◎巨人勝利、その陰にエラー19
1936年(昭和11年)の王座決定戦は1勝1敗で勝負の第3戦にもつれ込んだ。12月11日、洲崎球場。先攻阪神で始まった。
先発投手は阪神がエース景浦に対し、巨人は技巧派の前川を起用した。エースの沢村が肩の変調を訴えていたため、巨人の藤本監督はベンチに置き、リリーフでの登板をにらんでいた。
スコアは次の通り。
阪 神 020 000 000 2
巨 人 000 400 00X 4
阪神は2回二死から山口四球と岡田遊ゴロ失のチャンスに、9番の伊賀上が右中間に三塁打を放ち先取点を挙げた、主導権を握った。
対する巨人は4回、安打の水原が送りバントと一塁手の失策で三塁に進み、中島が四球で出塁したあと、前川が右前打して1点。さらに景浦がゴロを悪送球、遊撃手岡田も失策で加点し、9番の白石がタイムリーしてひっくり返した。
沢村が救援したのは5回から。小雨が氷雨になるという悪コンディションだったが、快速球を投げ込んで反撃をかわした。勝負どころは8回。一死一塁で強打の景浦を迎えた。ストレート勝負で3球三振に切って取った。9回、最後の門前も三振で締めくくった。
これが日本プロ野球の最初の日本一決戦だった。
しかし、この3連戦を振り返ってみると、失策の多さに驚く。勝った巨人は第1戦から1、4、2の計7。阪神は4、5、3の計12。両軍合わせて19失策という乱れた内容だったことが分かる。第3戦の得点もエラーが絡み、シリーズを象徴していた。
もう一つ特記事項があった。1時間15分、1時間26分、1時間12分。3試合の試合時間である。しめて3時間53分。隔世の感がある。
プロ野球はそれでもファンに支持され人気スポーツとして受け入れられた。(続)