「100年の道のり」(56)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)
◎巨人5連覇、第1期黄金時代を築く
1939年(昭和14年)になると、初めて1シーズン制のロングランとなった。これを機に巨人が勝ちはじめ、5連覇を達成するのである。藤本定義と三原脩がしごいた茂林寺の猛練習が実を結んだ。
この無敵時代を第1期黄金時代と呼ぶ。
39年 66勝26敗4分け 7割1分7厘 打率2割6分6厘 防御率2.02
40年 76勝37敗3分け 7割3分1厘 打率2割3分7厘 防御率1.56
41年 62勝22敗2分け 7割3分8厘 打率2割4分9厘 防御率1.33
42年 73勝27敗5分け 7割3分 打率2割3分1厘 防御率1.41
43年 54勝27敗3分け 6割6分7厘 打率2割1分1厘 防御率1.38
監督は39年から42年までは藤本が務め、43年は中島治康が指揮を執った。
5シーズンで331勝139敗17分け、勝率7割4厘というから強かった。黄金時代にふさわしい成績だった。ライバルの阪神は最初の2年間は2位につけていたが、41年は5位、42年と43年はともに3位と後退した。
戦力を見ると、兵役に就く選手が多く、39年の投手陣の中には捕手の楠安夫が登録されている有様だった。そんな中で大活躍したのがビクトル・スタルヒンで、39年は42勝を挙げ、須田博と名乗った40年は18連勝をマークし、連続MVPに選ばれた。また42年秋にデビューした藤本英雄は10勝無敗を記録し、43年には6連続完封という快投を見せた。
特筆は42年の新人の広瀬習一で、21勝6敗の好成績を残した。「将来のエース」と期待されたが、戦地に散った。エースだった沢村栄治は戦地に向かったこともあって40年7勝1敗、41年9勝5敗、そして43年0勝3敗が最後の成績となった。
打者は4番の中島が40年と42年に打点王を獲得し、川上哲治が39年と41年に首位打者と打点王、40年に本塁打王と打ちまくった。42年に入団した、のちにホームラン王となる青田昇は3割5分5厘とよく打ち、サヨナラ安打も放った。
この5連覇は巨人が球界のリーダーに上り詰めたことを意味していた。以後、阪神をはじめ各チームは「打倒巨人」を旗印に挑み、人気を得ていく。
チーム数は39年と40年は9、41年から43年は8、これが44年になると6になった。戦争の影響があったことは間違いなく、明日をも分からない時代の中でプロ野球は進んでいった。(続)