「たそがれ野球ノート」(1)-(小林 秀一=共同通信)
◎筋の通った政治家に
「ケンタさんがよろしく言っていましたよ」。昨年(2022年)1月のこと、電話の声の主は五反田に住む義弟だった。ケンタさんとは青島健太さん。私よりよほど社交性のある義弟が自宅そばの中華料理店で青島さんを見かけて声を掛けたという。義弟が慶大スキー部監督だったこともあって、おそらく同窓のよしみとか言って近づき、そのうち、「兄がプロ野球記者だった」ということにでもなったのだろう。
青島さんは1984年、慶大から東芝を経てヤクルトにドラフト外で入団した。その時私はヤクルト担当記者。ユマキャンプでは、スポーツ紙の同僚記者たちは鳴り物入りで入団した広沢克己(克実に改名)選手の動向を追いかけていたが、私はひねたルーキーと親しくなった。練習休みの前夜には、私のモーテルの部屋を訪ねてきてバーボンを飲むような仲になった。選手宿舎ではベテラン尾花高夫投手との相部屋だったようで、息抜きを求めていたのかもしれない。「僕の夢はスポーツキャスター。そのためにプロ野球選手になりたかった」の告白はバーボンの力が引き出してくれた。
私は1年で担当を離れ、交流は中断。引退後は、彼がMCを務めるプロ野球選手会OB会のパーティーなどでお会いするぐらいになっていた。
義弟の出会いをきっかけにして昨年3月、品川のレストランに3人が集まった。青島さんとは久々にグラスを傾けあってさんざん昔話をし、ペナントレースやメジャーリーグ、二刀流などを話しまくった。ただしあえてこちらから触れないことがあった。選挙だ。
青島さんは2019年夏、埼玉県知事選に出馬した。地盤・看板の強固な大物を相手に善戦したが惜敗。順調だったキャスターや講演の仕事をすべて犠牲にした。おそらく、自らの貯金にも手をつけざるを得なかったのではないだろうか。
品川での、おやじ三人のにぎやかな会合は3時間を超えお開きに。別れ際にひと言だけ、「選挙はもうこりごりでしょう」と何げなく言うと、彼から「それが、政治が面白くなってきたんですよ」の返事。その時はすぐにピンとこなかったが、帰り道、「あれか」とひらめいた。7月に迫っていた参議院議員選挙。案の定、出馬の記者会見が行われたのは、品川の夜から1カ月半後だった。
もしあの時に相談されていたら、「やめておいた方がいい」と忠告していただろうが、青島さんは選挙戦を乗り越え、7月10日、開票日から日付をまたぎながら当確にこぎつけた。当選後はメールでのやり取りだけだが、張り切って議員活動に励んでいる様子。メディアの立場で養った「聞く力」と「話す力」を生かせば市民の目線に立てるはずだ。彼には、野党の一員として、しっかりと政府を追及できる筋の通った政治家になってほしいと思う。(了)
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▽小林秀一です。よろしくお願いします。1973年に共同通信入社。75年広島支局に赴任しスポーツ全般と県庁クラブを担当しましたが、いきなりカープの初優勝に遭遇。それをきっかけに運動部異動後はプロ野球担当となり東京、大阪でセパ数球団と遊軍、デスクを任されました。今回、連載の依頼を受け、昔話を中心にあれこれ書かせていただくことにしました。孫二人は高校球児。下の子は今年が最後の夏になります。(了)