「評伝」-中西 太-(菅谷 齊=共同通信)

◎奇跡を生んだホームラン
 あのホームランは今でもはっきりと覚えている。1958年(昭和33年)の日本シリーズ最終戦(10月21日)。1回表、走者二人を置いて後楽園球場の右翼席中段に、軽々と放り込んだ中西の3ランを。
 この年の日本シリーズは巨人が3連勝であっという間に王手をかけた。それを西鉄が4連勝してひっくり返した球史に残るドラマである。この中西の先制ホームランが効いて優位に立ち、稲尾和久が完投して56年から3年連続日本一を達成した。投のヒーローが稲尾なら打のそれは中西だった。
 殊勲の一打は技ありだった。巨人の投手は長身から投げるドロップを武器とする堀内庄。四球と3番豊田泰光の右前打で一、三塁。ここで中西が決め球を捕えた。
 私はこのシーンを左翼外野席から目撃していた。中学3年生のときである。この日は火曜日だった。15日と19日の試合が雨で流れ、通常の日曜日の第7戦が延びたわけで、観衆20961人と少なかったことがウイークデーの決勝戦だったことを表している。
 後年、この最終戦ばかりがクローズアップされているが、中西は前日の第6戦でも1回に先制2ランを藤田元司から放っている。その2点を稲尾が守って完封し、3勝3敗のタイに持ち込んだ。中西のホームランが3連敗4連勝をやってのけた、まさに“奇跡の2発”だった。
 9回裏、ルーキー長嶋茂雄がランニング本塁打を放ち、派手なスライディングでホームインし1-6と2試合連続完封を阻止した。三塁手の中西の前を全力で走り抜けた姿が格好良かった。この長嶋に4番の座を譲った川上哲治が試合終了後に現役を退いた。
 川上、中西、稲尾、長嶋…が絡んだ試合を見たことは一生の記念となっている。中西の鮮やかなアーチがその中心にあった。