「菊とペン」(41)-(菊地 順一=デイリースポーツ)

◎甲子園での強豪校のトイレで見たものは
7月だ。太陽がギンギラギンの季節がやって来た。夏の風物詩とくれば、高校野球だろう。予選から球児たちは熱く燃える。
プロ野球畑が長かった私だが、たまには高校野球の取材をしたことがある。いまでも忘れられないのがトイレの思い出だ。
その高校は強豪校である。甲子園の出場回数も多い。郊外のグラウンドに出向き監督さんに意気込みやら話題の選手の話を聞く。(当たり前である)
暑い日だった。冷たいものを飲み過ぎたのだろう。急にお腹が痛くなってきた。そこでトイレを拝借、外野近くにあった。
ドアを開けた。エッ、一瞬絶句した。ものすごく汚かったのである。細かい描写は避けることにする。我慢が限界に達しつつあるのに使用をためらうほどだった。
野球とトイレから私が連想するのは明治大学野球部の名物監督だった島岡吉郎さんのエピソードである。
島岡さんは嫌がる役目は上級生が率先してやる。これをモットーにしていた。主将や4年生がトイレ掃除の担当だった。いまでも伝統になっているという。自ら素手で便器を洗ったことも。教育の一環、「人間力野球」の精神であろう。
会社経営者には「トイレ掃除は自分の役目」としている方が結構いる。人が嫌がることを進んで行うことで自己肯定感が出て、自信を持って会社の運営に携わることができるからだと聞いたことがある。
この強豪校は資金をたっぷり持っているはずである。トイレの改装をできるし、部員たちを動員して掃除ができるはずだ。自分たちが使う大事な場所である。
まあ、こんなことを考えたが、人間教育よりも強くなることがモットーで、いかにして有望な選手を集めるかが先決なのだろう。
いい、悪いではなく考え方だ。でも、大繁盛している飲食店の厨房を覗いたら、ガッカリした。こんな印象を持った。
監督さんへの取材は気分が乗らなかった。なにを聞いても空虚な感じがした。
学生時代は神宮に応援によく行った。グラウンドに立って指揮を執る島岡御大の姿をいまでも覚えている。私、「人間力野球」に惹かれるし、年を取れば取るほど大事だと考えるようになった。
ところであの強豪校、果たして予選を勝ち抜いて甲子園に出場できるのだろうか。そしてあのトイレはいま、どうなっているのだろう…。(了)