「大リーグ見聞録」(66)-(荻野 通久=日刊ゲンダイ)

◎「ボビー・バレンタイン自伝」が面白い
▽実名挙げて言いたい放題
 日米球団で指揮を執ったボビー・バレンタインが最近「ボビー・バレンタイン自伝(原題VALENTINE’S WAY MY ADOVENTUROUS LIFE AND TIMES)」を出版した。その中で、明け透けというか、容赦がないというか、誰に対しても言いたい放題だ。
例えばメッツ監督に就任した際、前任のダラス・グリーン監督を「言っていることはでたらめだ。何ひとつ感心することはなかった」とバッサリ。レッドソックスを指揮してときは、「どんな会話にも参加しなかったし、チームについて他のコーチと関わることがなかった」とバッテリーコーチのゲイリー・タックを「最悪のコーチ」と断罪。
レンジャース監督時代、自分の意に反した選手をフロントがドラフト1位指名すると、「私は恥をかかされたと思った。ドラフト1位選手はたいした選手じゃないと思った」とフロント批判。メッツ時代、コーチ解任について質問を浴びせる「ニューヨーク・タイムズ」記者を、「どこまで性根の悪いクソ野郎なのか」とボロクソ。
血の気の多い?イタリア人気質(祖父はイタリアからの移民)が言わせるのか、日米で功成り名を遂げて怖い者なしの立場が言わせるのか、他に理由があるのか。事情はともかく、日本のプロ野球関係者の本ではなかなかお目にかかれない正直さである。一種の清々しさすら感じる。
かといっていわゆる暴露本の類ではない。大リーグの実情を知る一冊にもなっている。2度務めたロッテ監督時代についてもページを割いている。また松坂大輔(当時西武)のレッドソックス入り、メッツの上原浩治(当時大阪体育大、ドラフトで巨人に入団)獲得失敗の秘話なども興味深い。
▽クラブハウスのソファーにひとり
 現役時代、ロッテを担当したことがないので、個人的にバレンタイン監督を取材したことはないが、ひとつだけ思い出がある。
村上雅則氏といえば、1964、65年にサンフランシスコ・ジャイアンツでプレーした日本人大リーガー第1号。その村上氏は毎年、秋に千葉県でチャリティー・ゴルフコンペを主催し、私も参加している。プレー終了後にはパーティーが行われる。ある年、私は用事で東京に戻るため、パーティーを中座してクラブハウスのロビーに降りていった。するとソファーにロッテのバレンタイン監督(当時)がひとり座っているではないか。自己紹介して、「ここで何をしているのですか?」と聞いた。
バレンタイン監督は「サプライズ・ゲスト!(Surprise Guest)」と答えてニヤリとした。
後で聞くと、パーティーの途中で突然、バレンタイン監督が登場。参加者は驚くともに大喜び。会場は大いに盛り上がったそうだ。
バレンタインは現在、球界を離れ、コネチカット州のセイクレッド・ハート大学運動部のエグゼクティブ・ディレクターとして大学スポーツの振興に力を注いでいる。チャリティー活動にも熱心で、レストラン経営者でもある。(了)