「たそがれ野球ノート」(2)-(小林 秀一=共同通信)

◎楽しさ、再発見
テレビの野球中継の基本的な画像といえば、バックスクリーン脇からとらえたバッテリー、打者と審判が収まるお決まりの構図だ(昔はネット裏からだけでしたね)。投打の攻防が一目で分かるが、今やハイテクの活用でどんどん進化し、われわれの目はプロの技術の深部まで探ることが可能になった。
スロービデオ再生は、縫い目で回転がはっきりとわかるボールが、9分割されたストライクゾーンに吸い込まれていく。それを見れば、「バックドア」だ、「フロントドア」だといった最近の用語も、「球を動かしている」という好投手の評価基準も即座に理解でき、「ショーヘイのスイーパーの曲がりはやばいよな」なんて会話が生まれる。
ファンの一人としてそんな視点にすっかり慣れてしまった私が、いい歳をしてこんな言い方もおかしいが、目からうろこが落ちるような体験をした。ミクロからかけ離れ、開放的な視野でリアルの野球を観戦する機会を得たのだ。少しオーバーに言えば、野球の面白さの再発見。場所は、おそらく初めて座ったと思う東京ドームの2階席だった。
日曜日のデーゲーム、巨人-阪神戦。席に着くとグラウンド、スタンドが一望。ひと言でいうと、野球盤を見下ろしている感じだ。乾いた音とともにはじき出された打球の速度が実感でき、野手が素早く動く迫力は距離を感じさせない。
状況別に守備位置を変える野手の動きにも目をひかれた。野球にはこんな光景もあるんだ、と多くの子供たちにも見せてやりたいと思ったりもした。(知っている方にはごめんなさい。興奮しちゃったもので)
広く見渡せる観客席も楽しかった。センターラインの右半分がオレンジ色の巨人ファン、左半分は見事に黄色一色。好調阪神ファンが押しかけたこともあるのだろうが、鮮やかに色分けされた円グラフが描かれ、それぞれが味方の攻撃に合わせた行儀のいい応援合戦を展開していた。
その昔、後楽園球場の同カード、「はんしんでんしゃ、ぼろでんしゃ」「よみうりしんぶん、うそしんぶん」と大合唱の応酬に比べればずいぶんと品がよくなったものだ。色分けする境界線では、昭和のころは見かけた小競り合いなど、起こるかけらもなかった。
トイレに数回立っただけ。これほど、試合に没頭したのは久しぶりだったかな。そんなたそがれ男の存在を知っていたのか、野球の神様からは延長12回引き分けのご褒美をもらった。昔なら記者席で怒りまくっていたかもしれないけれど、この日は楽しい3時間45分、大切なものを思い出したような気分にしてくれた。(了)