「評伝」-杉下 茂―-(高田 実彦=東京中日スポーツ)

中日の主力投手として活躍し、「フォークボールの元祖」と呼ばれた杉下茂さんが2023年6月12日、間質性肺炎のため東京都内の病院で死去した。97歳だった。杉下さんの魔球ともいえるフォークボールをネット裏から見た一記者として、氏の素顔の一端を述べさせてもらいます。
 杉下さんはいろいろなニックネームを持つ投手だった。最も古いのは「ドボン」。
 なんのことかというと、風呂に入るとき、右足をドボン、ついで左足をドボン。普通はここまでだが、杉下さんからはもう一つの「ドボン」が聞こえてきたという。
 真ん中の足が湯につかるときに聞こえてくる「ドボン」である。ある選手は「オレの右腕とおなじくらいあったよ」といっていた。
 ついで「フォークボールの元祖」。これはニックネームというより誇り高きプロの勲章である。真ん中の足に比例してか、指も太くて長かった。その中指と人差し指にボールをはさんで、長身の真上から投げるのだ。
 「投げる」というより「真上から抜く」のだそうだ。ボールはすーっと打者に向かってゆるく飛んでいってホームベースの1,2メートル手前でふわりと落ちて、時にはワンバウンドするのだ。打者が打てるわけがない。
 新宮正春著『プロ野球を創った名選手・異色選手400人』によれば「明大時代に九州へ遠征した際、監督だった天知俊一さんから投げ方を教わった」とのことである。
 昭和29(1954)年に中日初優勝で恩師の天知さんの胴上げに貢献した。なにしろこの年の投手タイトル(最高勝率、最多勝、沢村賞)を独占して「フォークの杉下」の名を高めるとともに、日本に「フォークボール」を根付かせた。
 36年、大毎に移籍しこの年限りで現役を引退。プロ生活実働11年で215勝123敗、防御率2.23の好成績を残し、もちろん野球殿堂入りした。
 後に、私が勤務していた東京中日スポーツの野球評論家をやられたが、「オレは酒はダメ、女もバクチもダメ。オレには野球しかない人生よ」といっておられた。
 評論は「ケナすよりホメる」感じで、いつも温かみのある”落としどころ”を見つけておられた。(了)