第67回「地平を駆ける獅子を見た」(島田 健=日本経済)

◎優勝セールの定番
▽ヒットメーカー
1978(昭和53)年、福岡にあったクラウンライターライオンズが西武グループの国土計画に買収された。西武球団となり本拠地は埼玉県所沢市に移転、全く新たなスタートとして0から始めるつもりで当初は西鉄ライオンズの記録も無視されていた(後に球団に箔をつけると同時に旧西鉄ファンを取り込む目的で球団史に含めた)。
当然、球団歌もブランニューということで、力こぶを入れて作った。作詞が阿久悠、作曲が小林亜星と当時のヒットメーカーに依頼、元気で威勢のいい歌手ということで、流行歌手の松崎しげる(49年生まれ)を起用した。
▽野球用語はなし
とにかく勢いのある唄だが、意外に野球用語は使っていない。
「激しく 雄々しく 美しく たて髪 虹の尾を引いて」「ミラクル元年 奇跡を呼んで 獅子よ 吠えろよ 限りなく」
とひたすらライオンを描写する。盛り上がるのはやはり、ライオンズの連呼である。「アアア ライオンズ ライオンズ ライオンズ」「ウォウォウォ ライオンズ‥」。西武が優勝すると必ず西武百貨店と系列店では優勝セールが行われ、この唄は耳がタコになる程聞かされたが、改めて調べるまで正確な題名を把握していなかった。
▽高校球児
松崎は江戸川区の中学校から墨田区の日大一高と進んだ野球少年だった。2年の時に左肩と肘を痛めて、選手生活をあきらめたが、唄の世界に入ってからも野球好きは有名だった(元々は巨人ファン、最近はもちろん西武ファン)。
77年にヒットした「愛のメモリー」が翌年のセンバツの入場行進曲に採用された時は「甲子園出場っていうガキの頃の夢がなったというか、この道に入って良かった」と思ったそうだ。
▽40周年
19年に埼玉西武ライオンズが40周年を迎えるので、17年に40thバージョンが限定発売、翌18年には一般販売された。そうこの唄は23年現在でもう44歳になるのだ。
経営者として一世を風靡した球団オーナー堤義明は不祥事などで球団を離れ、兄で文化人としても有名だった西武百貨店グループ総帥の堤清二は亡くなった。阿久悠、小林亜星の両氏もこの世の人ではない。
まさにいい唄は残るという証明だが、ただ一つ気がかかりなのは一人で唄い続けてきた松崎の体調である。まだまだ元気ではあるが、彼が引退したらこの元気のいい唄はどう唄い繋がれていくのか、ちょっとだけ心配である。
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