「100年の道のり」(67)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)

◎たくましくリーグ戦の復活
 戦争の傷跡が残るなかでプロ野球のペナントレースが復活、再開したのは驚くべきエネルギーだった。1946年(昭和21年)4月27日、8球団が4球団ずつに分かれ、後楽園球場と西宮球場で球史に残るスタートを切った。
 1シーズン制、15回総当たりで、1週間のうち4日から5日試合を行うとした。開幕戦の結果は次の通り。
 -後楽園-
 ゴールドスター 000 000 400 4
 中部日本    010 002 205 10

 セネタース   000 000 000 0
 巨人      602 011 101 12
 -西宮-
 グレートリング 000 100 000 1
 阪急      000 020 210 5
 
パシフィック  000 000 410 5
 タイガース   010 001 004 6
 老舗の巨人、阪急、阪神の勝利投手は、その後の球界を背負った選手だった。巨人は近藤貞雄で優勝監督となった。阪急の天保義夫は技巧派で、春から初夏にかけて好投し“春の天保”と異名を取ったことで人気があった。阪神はあの藤村富美男。いわゆる二刀流で、のちに長距離打者として名を上げ、チームの看板となり初代ミスタータイガースと呼ばれたスーパースターである。
タイガースが9回裏に4点を挙げて逆転サヨナラ勝ちしているが、他の3試合は後攻チームがリードしているのにもかかわらず9回裏の攻撃を行った。これは現在のルールとは異なっているのに気が付くだろう。
 1球場に4チームが集まり、1日2試合を行った。従って29日までの3日間で異なる対戦を見ることができた。30日から2クールに入り、後楽園はそのまま使用されたが、関西は藤井寺球場に移った。
大勢のファンが球場に詰めかけ、野球人気は健在だった。(続)