「たそがれ野球ノート」(3)-(小林 秀一=共同通信)

◎波乱の人生から学ぶ
 西武や福岡ダイエーなどで球団代表を務めた坂井保之さん(89)は長いことプロ野球界に身を置き、歴史を築いてきた方だ。過去の出来事を思い起こしてもらうと、これまで事実とされていたことと真実がこうも違ったのかと驚かされる。
表に出ていなかったエピソードが今になって飛び出してくることもあって、坂井さんから昔話を聞き出すのは実に楽しい。こちらが現役時代、「早く言ってよ」というほどのおいしいネタもいただいた。ストレートで出すのは難しかったが、そこには記者として底流を見失わないような暗示がいつも隠されていたと思う。
太平洋クラブ、クラウンライターと極貧球団を経営した苦労話。西武の買収で一転して、今度は潤沢な資金を背景に上り詰めていく華やかな過程、堤義明王国の裏舞台も興味深い。スター選手を抱えた西武時代、忍び寄ってくる反社会勢力と渡り合って選手を守った武勇伝も飛び出す。
ヘッドハンティングで中内ダイエーへ。さらに、野球機構の運営にも理事として関わった。巨人を中心に回る古い体質からの脱皮を唱え、優柔不断な天下りコミッショナーへの批判も容赦なかった。この辺の内幕話も突けばとめどなく湧き出てくる。
もっと話を聞いておこう。古手の記者数人で「坂井会」を立ち上げたのは坂井さんがすでに野球界を退き、鎌倉市観光協会の専務理事を辞した2005、6年のことだった。年に4,5回、当初は銀座や新橋の料理店での会合だったが、やがて坂井さんの負担を軽くしようと、ご自宅に近い鎌倉近辺で重ねた。毎回、生々しい裏話を聞くたびに「そうだったのか」と何度もうならされたものだが、コロナの影響でその会も途絶えてしまった。まだまだ聞きたいことはいっぱい残されている。
そうだ、そろそろ連絡をしなければ。涼しくなったら再開しよう。(了)