第70回「アイ・ラブ・ミッキー」(島田 健=日本経済)

◎スター讃歌
▽本名ミッキー
ミッキーといえば球界では1950年代で活躍したヤンキースのミッキー・マントルが一番有名だろう。2023(令和5)にエンゼルスで頭角を表したモニアックは、同じミッキーでも愛称で本名はマッケンジー。同様にミッキーと言ってもほとんどが、本名マイケルからの通称である。マントルの父親は贔屓のフィラデルフィア・アスレチックス(当時)のミッキー・カクレーン捕手にちなんでつけた本名。「ザ・ミック」というニックネームも別にあった。
▽スイッチ最高峰
左打ちの祖父と右打ちの父親に英才教育を受けて元からのスイッチヒッターだった(右投げ)。特に父親はセミプロの投手だったので、かなり鍛えられた。俊足を誇っていたが、マイナー落ちした時、セーフティーバントをしてコーチに「ヤンキースが求めているのは長打」と指導されてから、長距離ヒッターとして芽を出していった。通算536本塁打(左で373、右で163)はスイッチとして1位、4度のホームラン王のうち、56年には首位打者と打点王にもなり、両打ち唯一の三冠王も達成した。
▽同年の唄姫
マントルと同じ31年生まれのテレサ・ブリューワーは53年に「思い出のワルツ」を大ヒットさせた。江利チエミや雪村いずみの歌唱でオールドファンには懐かしい曲である。そんな人気歌手がマントルの全盛期56年に出した讃歌がこの唄である。
「ミッキーが大好き(ミッキー・フー)みんな知ってるわよね あの鋭いスイングで ミッキーが大好き(ミッキー・フー) そう毎年春に私を駆り立ててくれる」 
かっこのところは何とマントル自身が吹き込んでいる。ミッキーはサービス精神も旺盛だったのだ。
▽長距離砲伝説
ホームランの飛距離伝説といえばマントルの独壇場である。米大リーグの用語で特大本塁打を指す「テープ・メジャー・ショット」というのは、53年4月17日にワシントンのグリフィス・スタジアムで放った一打が超特大で、ヤンキースの広報担当レッド・パターソン(当時)が外に出てボールを持った少年に落ちた場所を聞いて巻き尺で測ったことが由来になっている。171・8㍍だった。60年にタイガース・スタジアムでの一発は195㍍とされ1995年度版のギネスブックに史上最長として掲載されている。69年シーズン前に引退し、74年には殿堂入りと順調だったが、過度の飲酒などが影響して95年に63歳でこの世を去った。人生は決して長距離ではなかった。
検索は「Teresa Brewer I love Mickey」(了)