「野球とともにスポーツの内と外」(54)-(佐藤 彰雄=スポーツニッポン)

◎「侍ジャパン」の大義
 2028年ロサンゼルス五輪の追加競技として「野球&ソフトボール」が承認されることになりました。日本が一昨年(2021年)夏の東京五輪で2008年北京五輪以来、3大会ぶりに復帰した野球で金メダルを獲得したように野球の本場・米国開催では絶対に外せない種目だったことでしょう。
 野球が初めて公開競技として五輪に登場したのが1984年ロサンゼルス大会でした。日本は決勝戦で米国を下し、金メダルを獲得。以後、1992年バルセロナ五輪から正式種目に採用されるなど2008年北京五輪まで7大会連続の開催を続けてきましたが、2012年ロンドン、2016年リオデジネイロの両五輪で除外。また次回2024年パリ五輪でも除外されており、2度目のロサンゼルス大会で2大会ぶりの復帰-。
▽2大会ぶりに五輪の舞台へ
 野球という競技が世界の各国で普及しているわけではなく、ましてソフトボールなどはマイナー競技の範囲にあり、採用と除外の分岐が開催都市の胸一つに掛かってくることは否めないでしょう。特に近年の五輪は「若者志向」が強く、レスレングやボクシングなど伝統競技の継続が危ぶまれる一方、来夏(2024年)のパリ五輪では「ブレイクダンス」が新採用されるなどアーバンスポーツに力を入れ始めています。
 そうした傾向にある中で今回、野球&ソフトボールが復帰したことをただ喜び、単純に「優勝だ」「金だ」と力むときは過ぎたことを認識すべきでしょう。もちろん勝利は欠かせませんが、とともに国際舞台で日本代表のユニホームを着た「侍ジャパン」に求められるものは、日本国内における野球人口の減少を阻止するための「大義」にあると思います。
▽普及を阻止する社会の形
 先日のこと。地域の情報誌にこんな記事が掲載され愕然とさせられます。地域の少年たちに加速する「野球離れ」に触れ、少年野球チームの運営に欠かせない保護者たちの給水や送迎などの当番制が、共働きの世帯が増えたこともあり、負担増になって継続できにくくなっている、というのです。
 春先のWBC(ワールド・べースボール・クラシック)では、MLBエンゼルス・大谷翔平投手たち「侍ジャパン」の勇姿に日本列島は興奮の渦に包まれ、野球少年たちはそれぞれに憧憬をもって「僕も…」と思ったことでしょう。チームを率いた栗山英樹監督は、ことあるごとに「底辺の拡大」と「普及」を口にしていたものでした。
 しかし、現実は「憧れ」だけでは済まない多様化する“社会の形”が横たわっているようです。「侍ジャパン」は少年たちに何を見せるべきでしょうか。それが五輪の場での日本勢の役割といえるでしょう。(了)