「ONの尽瘁(じんすい)」(5)―(玉置 肇=日刊スポーツ)
巨人担当記者の1日は、監督や主力選手の自宅を訪れ、車に同乗させてもらい球場入りすることから始まる。車中で話を聞くことで、思いもよらぬニュースが聞けたり、原稿の骨子となるネタになったりする。球場ではほとんど話が聞けないから、車での取材が大きくものをいう。個人情報やプライベート重視が叫ばれる昨今では考えられないことだが、わたしが巨人番になった昭和60年代は、「お宅訪問」からの「球場入り」はルーティンワークだった。
巨人の場合、ライバル各社とも3人以上の担当記者を配置するため、車中での独占取材はまず難しい。それでも、何より、担当記者として「顔と名前を覚えてもらえる」利点から、このスポーツ紙版「夜討ち朝駆け」は代々受け継がれていた。
王監督の場合、だいたい正午すぎに自宅を出るから出発の時刻を狙って5~6人の番記者が車庫前で待機するのが常だった。番記者を乗せる指揮官は「オレは君たちの専用運転手じゃないんだぞ!」とジョークを言いながらも、車中では前日の試合のポイント、選手の状態から社会の出来事、世相、海外の話題に至るまで気さくに話してくれた。
あるとき、「同乗者」がわたし1人になった。思わぬ単独取材のチャンス到来に胸の鼓動が高まったものだ。思い切って本音を聞いた。
「監督として、一番心を砕くことって何ですか?」
わたしの質問に、しばらく考えこんだ後、指揮官はこう言った。
「選手が何を考えているか、だね。最近の選手は、シーズンの目標を立てるとき、たとえばホームランを30本打ちたいとか、今年は20勝したい、とか言うよね。でも、目標を30本にしたら、25本しか打てない。20勝を掲げたら15勝しかできないんだよ。だから目標は高く持ってほしい。今の選手は、現実的に過ぎると思う。ボクは、それが歯がゆい」
さらに、続けて言った。
「巨人に入ることは、学問でいえば東大に入るようなもの。それだけ高い技術と能力を持ち合わせているはずだから、こちらが言わなくても自分でわからなきゃいけない…」
現役時に血のにじむような練習と努力で一本足打法を会得し、「世界のホームラン王」の勲章を手にした指揮官にとって、自分で限界への線引きをする当時の選手の考えは理解し難かったのかもしれないー。わたしには、そう映った。
第1次政権下の長嶋、さらに藤田、その次の王と3代の監督のもとでプレーした主力選手が、興味深い分析をしている。
「キャンプなんかの食事で長嶋さんは自室、藤田さんは選手に交じって、王さんはみんなと一緒なんだけどコーチ同士で食べることが多かったね」
「言わずもがな」を求める指揮官と、「世界のー」という敷居の高さに接しにくさを感じる選手たち。それが互いのコミュニケーションギャップを生み、ひいては選手の個性を掌握するヘッドコーチの必要性を痛感する指揮官の悩みに通底していったのではないだろうか…。(続)