「記録とメジャーを渡り歩いた記者人生」(1)-(蛭間 豊章=報知)

◎長年お世話になったベースボール・レディ・レコナー
 1985年に野球殿堂入りした元パ・リーグ記録部長の山内以九士(やまのうち・いくじ)さんを描いた「『記録の神様』山内以九士と野球の青春」(道和書院・2000円+税)が2022年6月に発売されました。山内さんのお孫さんの室靖治さん執筆の充実した内容の一冊でした。
 その本の中で最もページが割かれていたのが、山内さんが活字を一つずつ拾って作ったというベースボール・レディ・レコナー(通称レコナー)。打率早見表である。山内さんは打率早見表を、1940年(紀元2600年)を記念して自費で300部作ったそうです。戦後、試合数が増えたことで打数を増やしていき、プロ野球実行委員会が資金の一部を拠出することが決まりましたが、山内さんと長男の了介さんが組版を手伝うなど苦心惨憺の末に53年末に完成。打数は700まで安打は300までの割り算の数値4ケタまで出してある。
 ちなみに700打数300安打なら.4285となる。この校正には3度行ったという、今のような電卓のない時代の労作だったのです。55年、日米野球のためヤンキースとともに来日したメジャー関係者は、パソコンも計算機もない時代でこのレコナーに驚き、数十冊購入。後に追加注文もあったといいます。
私は73年に報知新聞編集局記録部員として入社。当時プロ野球の記録部員は5人でした。うち1人が休みで1人がコラムの記録室執筆(宇佐美徹也部長か先輩の前藤衛さんが担当)。同期入社の一人が勝敗表担当。もう一人の先輩が投手15傑担当で私も含めて3人が集計担当だった。会社に1台しかなかった大きな計算機は、一番早く提稿しなければならない勝敗担当が使い、打撃成績は私がレコナーで、投手成績も防御率用のレコナーで計算していた。
 当時、プロ野球のテーブルは各球場に派遣した学生アルバイトがスコアカードを記入。試合終了後即座に、当時部署としてあった速記に電話送稿。そのテーブルが届くと、試合前に用意しておいたチーム別の規定打席数を確認し、規定打席にからむ選手を先に集計。打率を出して、打率順に並べて30傑用紙に記入。締め切り間際で提稿を待って待機している整理部デスクに渡したのです。その後も共同のオンラインが導入されるまでローテーションで打撃30傑をやり続けており、レコナーが若き日の“戦友”と思う所以です。入社して20年以上お世話になったレコナーは今でも大事に持っています。家人には私の棺に入れて欲しいとお願いしている。(次回掲載は2024年2月予定)