「菊とペン」(47)-(菊地 順一=デイリースポーツ)

◎野村克也さんなら何て言うかな?
大谷翔平がドジャースと10年契約、総額7億ドル(約1015億円)で契約を結んだ。
23年暮れから新年にかけてメディアではこの話題で持ち切りである。
1015億円というのはどんな金額なのだろうか。安い缶酎ハイを片手に公園のベンチに座っているオッサンには現実離れしていて、とてもじゃないが見当が付かない。
某スポーツ紙によると、牛丼 2億1688万杯分だという。なんとなくわかるような気がしないでもないが、ただ1つ言えるのは大谷の凄さだ。これだけは言える。
私がプロ野球記者としてスタートしたのは70年代後半だ。これから80年代に入って一流選手の年俸と言えば、3000万円だったと記憶している。いまからわずか40数年前のことだ。
日本球界初の1億円選手誕生は大きな話題となった。86年オフに契約した落合博満だ。現在でもテレビなどのマスコミでは初の1億円選手と〝認定〟されている。
だが、これに敢然と待ったを掛けたのが野村克也氏である。自著で明かしている。
「ひと昔前まで年俸1億円は夢の金額だった。では、日本初の1億円プレーヤーは誰だとお思いか?落合博満、多くの人はそう答えるはずだ。だが、じつは最初に1億円を突破したのは、なにを隠そう。この私である」(勝ちたければ歴史に学べ 知の野球史)
推測するにこれは73年オフだろう。この年、南海の選手兼任監督として阪急をプレーオフで破り、巨人との日本シリーズに進出している。
4番打者の捕手としての年俸の他に監督料を頂戴していたというのだ。この年の長嶋茂雄さんの年俸を調べてみると、新聞などでは4925万円(推定)となっている。野村さんは著書で球団から「絶対に口外するな」と釘を刺されたことも記している。
年俸1億円は㊙だったようだ。
してみると日本人の1億円プレーヤーは落合氏から13年前に誕生していたことなる。
大谷だけではなく山本由伸もドジャースと12年総額3億2500万ドル(約455億円)で契約合意、他の日本メジャー挑戦組も多額の契約を結んでいる。
日本球界も西武からソフトバンクに移籍した山川穂高が4年総額12億円など景気のいい話が飛び交っている。いまの日本人選手の一流の相場は一体いくらなのだろう。やはり1億円が基準になるのか。
野村さんが南海にテスト入団したのは54年、当時の年俸は8万4000円だったという。19年後、日本球界の最高峰に立った。
初の日本人1億円プレーヤーである野村さんにいまの日米の「マネー事情」を聞いてみたい。どう答えるだろう。
それにしても、大谷の1015億円で私が手にしている安い缶酎ハイを一体何缶買えるのか。ヒマな方、一度計算してください。(了)