「100年の道のり」(73)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)

◎地方新聞社の支援、スモール野球が勝つ
 阪神の誇るダイナマイト打線を鎮火したのは同じ関西のグレートリング(以降南海)だった。兵役から戻った山本一人(鶴岡)がプレーイングマネジャーとなり、投手陣に大日本土木の中原宏、シベリアから戻った法大出の柚木進らで厚みを加え、打者では早大のスラッガー笠原和夫、俊足強肩で知られた門司鉄道管理局の木塚忠助、明大の土屋亨らを獲得した。
 試合運びの特徴は抜け目のなさだった。シーズン盗塁数218は8球団トップ。河西俊雄が新記録の66個をつくり3年連続のタイトルだった。このほか木塚34個、笠原28個、山本23個を記録した。打率2割3厘でリーグ最下位の安井亀和はリーグ最多の81四球(他に死球2)を選び16盗塁。出塁すると走り回って得点機を作り確実に得点というスモールベースボールでほぼ独走、2位巨人に5ゲーム差をつけて優勝した。3位阪神には17ゲームの大差をつけた。
 このシーズンは地方ゲームが多いことだった。共同通信社は軸となって各地方紙と木曜会を組織し、プロ野球の試合を支援した。優勝した南海の球場と試合数を例にとると、後楽46、甲子園46、西宮27試合のほか、神宮、大宮、千葉、富山、金沢、新潟、長野、名古屋・鳴海、彦根、京都の西京極と衣笠、姫路、福山、広島、徳島、門司、福岡・春日原、熊本、大分と遠征した。リーグ計560試合を消化するのに7か月半もかかった。汽車移動がその原因だったが、復興を乗り越えプロ野球を維持してきた選手たちはほんとうに頼もしかった。
 南海はこの優勝がきっかけでフランチャイズ球場を持つようになった。