◎FA制度とブラックソックス事件(菅谷 齊=共同通信)

フリーエージェント(FA)の山川穂高が西武からソフトバンクに移ったことで「人的補 償」が問題になった。このFA制度は大リーグで始まり、のちに日本が採用した。大金が動くことで話題になる特徴がある。
 大リーグがFA制度を決めたのは1976年で、いまからおよそ半世紀前のことだった。選手会と経営者の闘いは激しく、両者ともさまざまな犠牲を出した。
 それまで球団が圧倒的に強く、選手はオーナーの持ち物のような形だった。カージナルスにカート・フラッドという黒人外野手がいた。盗塁王のルー・ブロックと1,2番コンビを組み、オールスター戦に選ばれるスター選手として人気があった。
 フラッドはトレードに出されることになったのだが、その大きな理由が「黒人選手の人数制限」で、これに抵抗して騒ぎは大きくなった。フラッドはその後、あやふやな状態に置かれ、油の乗り切ったころにもかかわらず球界を去った。
 経営者におっかなびっくりだった選手たちが立ち上がり、交渉の専門家を招き球団との交渉を重ねた。その結果がFA制度で、採用した1年目に大物選手が動き、多額の契約金が動いた。不調にあえいでいたヤンキースは稀代のホームラン王のレジー・ジャクソンを獲得し、再び黄金時代を築いた。「小切手野球」といわれる時代に突入した。
 1919年に起きたワールドシリーズでレッズと対戦したホワイトソックスは、主力が反社から金をもらい八百長を行故意に負けた。ブラックソックス事件である。きっかけはエースのエディ・シコットで、30勝を挙げたら大幅年俸の約束だったのだが、29勝を挙げたところでオーナーが監督に命じて登板させなかった。当時、オーナーの一存でトレード、解雇ができるなど、選手に自由はほとんどなかった。
 そういった歴史を塗り替えたのが選手会の抵抗によるFA制度だった。この制度は選手の出入りが激しくなり、一つのチームで選手生命を終えるスターは極端に減った。現在の選手は多国籍で大金を稼ぎに来る。
 こうした風潮に嫌気して球団を売却したオーナーが出てきた。代表的なのはドジャースである。ニューヨーク時代から経営に携わっていたオマリー家はマネーゲームにばかばかしくなり手放した。ドジャースはファームで選手を育てることで有名だったが、FA選手の出現によって育成の意味がなくなった。
 FA制度の導入は契約金が年々高額になっていくことを生んだ。(了)