「スポーツアナウンサーの喜怒哀楽」(4)-(佐塚 元章=NHK)

◎我が人生に古関裕而メロディーあり
 日本を代表する作曲家・古関裕而さんの作品との出会いは、1964(昭和39)年10月10日、東京オリンピック開会式からはじまる。「世界中の青空を東京に集めたような国立競技場です」という北出清五郎アナウンサーの名文句の後に聞こえてきた「東京オリンピックマーチ」。なんとすばらしい曲だろう、軽快なリズムと荘重で日本的な行進曲に中学2年生の私はすっかり魅せられてしまった。それを伝えたテレビ放送にも感激し、アナウンサーを目指すことになってしまった。
 早稲田大学に進むと第一応援歌「紺碧の空」を神宮球場で歌い、早慶戦を楽しんだ。これまた古関メロディーだった。73年NHKのアナウンサーとなって初任地・徳島で初めての高校野球中継を担当した。番組冒頭で古関さん作曲の「NHKスポーツテーマ」が流れてきた時の胸の高鳴りは忘れることができない。NHKのスポーツアナウンサーになったことを実感したものだった。
 そして、夢だった夏の甲子園の放送に25歳、入局3年目でデビュー。古関さんの代表的作品「栄冠は君に輝く」を初めて現場で聞いた。以来25年もの間、甲子園の高校野球放送を担当することができた。
時は流れて60歳の定年となり、契約社員として2011年から正午のラジオニュースの後の番組「ひるのいこい」のナレーションを平日毎日、5年間も放送させてもらった。1952年、日本の農業が元気になるようにと古関さんにテーマ音楽を依頼した。その音楽をバックグランドにナレーションがスタートし、全国の農家からの便り、懐メロ、最後に俳句でつないでいく半世紀不変の長寿番組は、今でもラジオファンの心を掴んでいる。
 2020年、連続テレビ小説「エール」で古関さんの人生が半年にわたって放送された時は毎日が楽しみだった。最終回はNHKホールで窪田正孝、二階堂ふみさんら主演俳優が古関さんの名曲をメロディーで歌う演出だった。私はその録画を今も保存し、時々再生しては一緒に歌っている。
 野球ファンにとってうれしかったのは、古関さん作曲の巨人「闘魂こめて」、阪神「六甲おろし」など野球界を盛り上げた功績が評価され、23年に野球殿堂入りしたことである。私は古関さんの故郷、福島市にある「古関裕而記念館」を訪ね、胸像の横に立って記念写真をとった。長年の念願がかなった。
 不思議な縁というものだろうか? 私のアナウサー人生は、常に古関さんのメロディーとともにあった。大変、光栄なことである。(続)