「しゃべって、出会って」(4)-(近藤 雄介=フジテレビ)

◎実は「武闘派」⁉の説もありますが
 この人の怒った顔、不機嫌そうな顔を見たことがありません。
 「日本プロ野球のお父さん」だと思っています。
 1950(昭和25)年、法政大学から投手として近鉄に入団、8年間で65勝をマーク。野手に転向して1137安打を放つ。引退の年に巨人に移籍し38才で現役を退く。
 史上初の投手と野手でのオールスターファン投票1位選出。2003年、野球殿堂入り。あの関根潤三さんです。20年に93才で亡くなりました。
 プロ野球中継、プロ野球ニュースなどで言い尽くせないほどお世話になりました。そして、野球に限らずいろいろと教えていただきました。現役時代の姿は見たことはありません。記録を見れば素晴らしい選手だったことはわかりますが、私にとっては解説者や監督としての関根さんが、関根潤三でした。
 解説は穏やかでホンワカとしていました。視聴者にも監督や選手にもやさしい「感じ」がしました。でも、「感じ」だけで、実はかなり厳しい内容のコメントもありました。それを柔らかな口調と表情で包み込んでいました。監督としてユニフォームを着ていても記者の質問にきちんと答え、我が子を見つめる親のようなまなざしを選手に向けていました。
 関根さんの人柄を感じるいくつかのお話です。
 *大学野球のスターでした。当時は大学野球の方がプロ野球より人気があったそう。
 「これがね〜、ずいぶんモテましたね。なんだかスポンサーみたいな人もいてね〜」
 「お酒?これが、あたしゃ、下戸でね」
 *食べ物へのこだわりは? 横浜スタジアムでの中継時に時折出たお弁当に
 「あたしゃ、これが一番なんです。これがなによりなの」(崎陽軒シウマイ弁当に)
 *月が二重に見えて! 「後楽園球場でね、ライトを守っていたんですよ。そしたらね、夜空にきれいな三日月が出ていたんです。その三日月の先っぽがね、二重にダブって見えたの。あ〜ッ、そろそろ潮時かな?って…」
 柔らかいジャケットに身を包んで、いつもゆったりとほほ笑んでいました。「コレと、こいつがあればいいんです」。なによりコーヒーが好き。そして愛煙家でした。
 中継やプロ野球ニュースが終わったあと、関根さんは必ず聞いて来ました。「私、大丈夫でした?」と。自分の解説はちゃんとしていたか?おかしなことをしゃべっていなかったか?と確認するように。
 関根さんほどの人が大丈夫じゃないわけないのに、必ず聞いて来ました。けっしておごらない、気取らない。格好つけなくても格好いい、実に素敵な紳士でした。
 …?上の方から関根さんの声が聞こえて来ました。
“素敵な紳士…?そんな上等なもんじゃありゃしませんょ”。(続)