「いつか来た記者道」(80)-(露久保 孝一=産経)
◎さらば、オレンジ色のニクい奴
「夕刊フジは、いつも燃えている。記事がすごいんだ、オレンジ色に燃え盛っちゃうから面白い。江川と掛布が真っ向から燃えるような対決をしたっていうんで、夕刊フジが、オレンジの色のニクいピッチングとニクいバッティングと書いた。すごいだろう、野球場がボウボウ燃えちゃうんだよ。この熱気がいまの世の中に足りないんだよな。みんなが燃えあがったら、いい社会になるのに。いいよな、オレンジ色のニクい奴って。この言葉が、ニクいんだよなあ」
以上のセリフは誰か? そう、これはあのビートたけしである。30歳の頃、早口の毒舌で人気急上昇した漫才タレントは、1981(昭和56)年1月1日からニッポン放送で「ビートたけしのオールナイトニッポン」を始めた。この時代には、巨人・江川卓、阪神・掛布雅之、広島・山本浩二、阪急・山田久志、ロッテ・落合博満ら剛腕、豪打者がそろっていた。プロ野球シーズンたけなわの夏の戦いの最中に、ビートたけしは自身のオールナイトニッポンで上記のような爆笑トークを繰り広げたのである。
たけしが取りあげるほど人気があった夕刊紙「夕刊フジ」は、2025年1月31日の最終版をもって休刊となった。産経新聞社発行の同紙は、1969(昭和44)年2月25日に創刊され、政治、経済、社会、スポーツ、芸能の各分野にわたり「言いにくいことでもズバズバ書く」という大胆さ、ユニークさがサラリーマンに愛され、長い間、駅売店、コンビニエンスストアで売られていた。しかし、携帯電話、インターネットの普及で購読者が減り、愛読者には寂しい結果を迎えた。
▽ビートたけしも夕刊フジも野球を愛した
ビートたけしは昭和から平成時代にかけ、夕刊フジではよく記事になりインタビューも受けている。彼にとり、夕刊フジといえば「オレンジ色のニクい奴」というイメージが強かった。このセリフは、同紙のテレビCMで有名になった。箱根彫刻の森美術館にある後藤良二の≪交叉する空間構造≫の作品をもとに、CMでオレンジ色に炎があがるシーンを映し、広い層に好感を持たれた。そのネタを元に、「ビートたけしのオールナイトニッポン」では、オレンジ色のニクい奴をギャクとして巧みに利用したわけである。
当時、人気絶頂だったたけしは、この番組で時事問題、社会現象、芸能界裏話や野球選手秘話から深夜放送ならではの下ネタまで、幅広い内容のフリートークを展開した。大胆な暴露的な話が聞ける番組として、一般リスナーはもちろん受験生にも絶大な支持を得た。そのような趣向は、夕刊フジの記事も同じであった。たけしも夕刊フジも、野球を愛し多くを語り書いた。
夕刊フジは休刊する半月前に、発行56年間の記事をまとめた特別保存版を発行した。この保存版は日本の政治、経済、社会、スポーツの歴史がよくわかる紙面構成になっている。プロ野球の足跡もタイムリーに織り込まれている。選手や監督らの英雄劇やエピソードを記事にし、ユニークな話題を提供してきた。夕刊フジの消長を教訓に、プロ野球界の人気復活をバックアップするために、世代を超えて愛される「ニクい新手」のメディア誕生が待たれる。(続)