「菊とペン」(60)-(菊地 順一=デイリースポーツ)
◎佐々木朗希のメジャー挑戦に思う
千葉ロッテからポスティングシステム(入札制度)でメジャー移籍を目指していた23歳の佐々木朗希投手がドジャースとマイナー契約を結んだ。大谷翔平、山本由伸とチームメートになる。
佐々木とド軍はかねてから「蜜月関係」がウワサされていた。メジャー20球団が獲得に名乗りを上げたそうだが、ウワサの球団のユニホームに袖を通したことで出来レースではないかとの疑念がささやかれている。
しかも佐々木はロッテ在籍5年で海を渡った。過保護と思えるまでに大事に育ててきたロッテに後ろ足で砂をかけた。チームに貢献していない。恩返していない。不義理だ。SNS上などでは厳しいコメントが噴出している。
ましてや25歳ルールで契約金が制限された。ロッテに入る譲渡金は2億5000万円だそうで、これがあと2年待てば高額条件の可能性もあった。
山本は25歳でド軍と契約を結んだが、契約金は500億円とか。本人、ロッテもウハウハだったはずである。
ロッテは2019年のドラフトで岩手県大船渡高校の佐々木を1位で指名したしたが、私はそのロッテ担当だった。
ロッテが交渉権を獲得したその瞬間、本人の表情は複雑だった。ハッキリ言ってイヤそうだった。希望球団は日本ハムか楽天だった。北のチームである。東京の球団はお断りの姿勢だった。
そこをロッテが強行指名したのだが、その時の言い分は「千葉は東京ではない」だったと記憶している。
私の出身は岩手県の釜石市、佐々木の大船渡は目と鼻の先だ。これを聞いた時、同じ東北の岩手県人としていい気分がしなかった。そんなことは百も承知だ。上げ足取りとしか思えなかった。
結局、佐々木はロッテに入団したが、私にはうまくいかないでのはないかという予感があった。スタートからこうである。図らずも的中した。
それに佐々木にはメジャー挑戦を早めた確かな理由があったと推察する。
会見でこう言った。「あと2年待てばという声を聞きますが、その2年をどういった状態で迎えられるか、保証はない。お金とかそういうものより、この2年間を(米国)で過ごす時間に価値がある」
2011年3月11日の東日本大震災で当時10歳の佐々木は大津波で祖父母と父親を亡くした。大ショックだったろう。その後にも影響を与えたと思う。
この大震災は何万年に一度とも言われた。それがやって来た。では、今度来る時はその何万年後なのか。
そんな保証はない。考えれば明日か、いや今日、次の瞬間かもしれない。人生で悔いを残さないためにもいまやること、やれることをやる。2年後、冗談じゃない。待っていられない。決断の根底にあるような気がしてならない。
私のデイリースポーツでの最後の仕事は2019年12月末、佐々木へのインタビューだった。
前年の18年7月の岩手県決勝大会で自身は出場せず大船渡高校は敗退したことを聞いた。佐々木は一呼吸置いて、目の前の一点を見つめて話した。
「これからプロ野球に入ってあの時の判断が正しかったと誰もが納得するような活躍をしなければならない」
だれもが納得する判断。さあ、今度は日本からメジャーへの挑戦である。この言葉を実現してほしい。(完)