第2回 ジョルティン・ジョー・ディマジオ(島田健=日本経済新聞)

◎56試合連続安打の熱狂が生み出す

▽ヤンキース入団6年目で快記録

 ジョー・ディマジオの連続試合安打が始まったのは、ヤンキースに入団して6年目の1941年(昭和16年)5月15日だった。4打数で1安打だったが、これから毎試合ヒットが途切れることなく続く。イチローが破るまでシーズン最多安打の記録を持っていたジョージ・シスラーの41試合に近づくと、国民的関心事になっていった。6月29日のダブルヘッダーで一気に42試合にすると、7月1日には1897年のウィリー・キーラーのシーズン最多記録44(前年最終試合を加えると45)に並んだ。翌日のレッドソックス戦、本塁打で記録を更新すると熱狂は最高潮となった。

▽シーズン中に録音する

 アラン・コートニーとベン・ホーマーの共作によるこの曲は、偉業を讃えるとともにブームに乗った形。シーズン中に作られ、録音された。レス・ブラウン楽団の演奏をバックに女性歌手、ベティ・ボニーと男性コーラスが掛け合う軽快な調べ。「彼は野球史上有名な連続記録をスタートした」「7月1日にはタイ記録を達成」「さらに12試合を加えた」。相の手を入れながら進み、「クリーブランドの一夜でストップ」「連続記録よさらば、ディマジオ」
で終わる。ラジオで昼夜となく流されたそうだ。記録は7月17日のインディアンス戦で止まったものの、18日からまた連続16試合安打を記録したのはいかにも惜しい。

▽唄がMVP投票にも影響?

 この年、ディマジオは125点でア・リーグ打点王になったものの、打率は3割5分7厘、30本塁打止まり。しかし、20世紀最後の4割打者(4割6厘)となり、37本で本塁打王にも輝いたテッド・ウィリアムズ(レッドソックス)を退けてリーグMVPに選ばれた。4256安打したピート・ローズでさえ44試合が最多(1978年)。56試合連続安打は最も破れそうにない記録といわれている。
 記録的価値はもちろんだが、国民的熱狂を煽ったこの唄の存在も大きかったようだ。ディマジオの通称は1939年、当時の球場アナウンサーだったアーチ・マクドナルドがつけた「ヤンキー・クリッパー」が有名だ。クリッパーは快速艇や新鋭航空機を表す。それに「ジョルティン・ジョ-」が加わった。ジョルトはひとを驚かせるという意味があるが、頭韻を踏んだ調子の良さが受けた。

▽アメリカ究極のヒーロー

 13シーズンで通算打率3割2分5厘、2214安打、361本塁打、1537打点。記録的にはいずれも普通のスター級だが、ディマジオは究極のアメリカンヒーローとも呼ばれている。
 貧しいイタリア移民の子として生まれ、ハンサムで打つだけでなく中堅守備も華麗で、走塁も絵になった。全盛期に3年間兵役を務めなければ、ヤンキースタジアムが右打者にあれだけ不利でなければ、500本塁打は軽くいっていたとされる。13年間で10回のリーグ優勝、9回のワールドシリーズ制覇に貢献したのはもちろん勲章である。
 また、ネクタイをしないなど我が道を行ったテッド・ウィリアムズと異なり、口数は少ないが、マスメディアにも礼儀正しく、常に穏やかで優雅なふるまいで引退後も人々に尊敬される存在としてあり続けた。マリリン・モンローとの結婚は短期間に終わったが、彼女の死後、葬式をとりしきり、20年の間、お墓に週3回6本のバラを届けさせたという逸話は人柄を物語る。1999年、84歳で没したが、最後までヒーローとして生きた。(了)