第5回 波乱の19世紀、20世紀に発展
▽日本球界夜明けのころ、大リーグは…
昭和に入ると、日本では人気スポーツの野球をビジネスにしよう、との動きが出た。それを実現のために奔走したのが正力松太郎である。1931年(昭和6年)に大リーグ選抜を招き、野球の醍醐味を全国のファンに示した。
「ボールが消えました、ストライク!」
レフティ・グローブの投球を、ラジオ放送でアナウンサーがそう叫んだ。後世に語り伝えられているスモークボールである。伝説となっている話だが、それは大リーガーのすごさを語るエピソードでもあった。
ここで大リーグの歴史を日本から離れて説明しておきたい。
大リーグは20世紀になったときから「近代リーグ」としている。1871年にナショナル・アソシエーションとしてリーグ戦が始まり、76年からナショナル・リーグとなった。以後現在まで続く。
その後、アメリカン・アソシエーション、ユニオン・アソシエーション、プレーヤーズ・リーグなどが出現したが、ともに失敗している。1901年(明治34年)に新たにナ・リーグに対抗する形でアメリカン・リーグが創設され、現在の2リーグ制の原型がスタート、球界はようやく落ち着く。
しばらくすると、ナイターが始まり、ラジオ放送、テレビ中継と時代が進み、野球は国民の代表的な娯楽となっていく。
▽16チームでスタートした近代リーグ
2リーグで新たにスタートした1901年は8球団ずつの計16チーム。東海岸を中心にフランチャイズが置かれた。
[ナ・リーグ]
ボストン・ブレーブス、ブルックリン(ニューヨーク)・ドジャース、シカゴ・カブス、シンシナチ・レッズ、ニューヨーク・ジャイアンツ、フィラデルフィア・フィリーズ、ピッツバーグ・パイレーツ、セントルイス・カージナルス
[ア・リーグ]
ボルチモア・オリオールズ、ボストン・レッドソックス、シカゴ・ホワイトソックス、クリーブランド・インディアンス、デトロイト・タイガース、ミルウォーキー・ブリュワーズ、フィラデルフィア・アスレチックス、ワシントン・セネタース
ナ・リーグのブレーブスはミルウォーキーを経て現在はアトランタ。ドジャースとジャイアンツは西海岸に大移動し、ロサンゼルス、サンフランシスコに本拠を置いている。
ア・リーグのオリオールズは今のニューヨーク・ヤンキースである。ブリュワーズは2年目にセントルイス・ブラウンズとなり、現在のボルチモア・オリオールズとなった。アスレチックスはカンザスシティを経て今のオークランドに移った。このセネタースは初代でミネソタ・ツインズとなり、2代目はテキサス・レンジャーズとなっている。
2リーグ最初の優勝はナがパイレーツ、アがホワイトソックスだった。
大リーグは「都市名+ニックネーム」で球団名を表す。日本は「企業名+ニックネーム」を長く続け、今は「都市名+企業名+ニックネーム」のチームが増えている。(了)