第5回 「西宮球場」(1)取材日2007年6月7日
▽盗塁は目で盗め、世界の盗塁王
かつて〝韋駄天〟と呼ばれた男がいた。実働20シーズンで奪った塁は日米最多の1065個。13年連続盗塁王に輝き、1シーズン106盗塁の驚異的な記録もある。西宮球場を本拠にしていた阪急ブレーブスの外野手、福本豊である。当時、彼の足には1億円の保険がかかっていた。
新聞社の運動部記者時代にブレーブスを担当したことがある。1975年から3年連続日本一になったあのころだ。下手投げの足立光宏、山田久志がいた。長池徳二(徳士)、マルカーノ、大熊忠義、加藤秀司(英司)に福本ら、個性豊かな職人たちの集団だった。とりわけ福本の「足」は異彩を放っていた。本拠の西宮球場では433盗塁をマーク、グラウンドを疾風のように駆け抜けたものだった。
97年5月、阪神―巨人戦で熱気が渦巻く阪神甲子園球場で福本と会ったとき、改めてこう尋ねてみた。
福本流盗塁の極意とは?
「目ですよ。見て盗むことやね」
オウム返しにそう言った。一般論として盗塁を成功させるには、二盗の場合、二塁ベースまでの所用タイムが3秒以内であること。そのためには、スタート、中間走のスピード、二塁ベース際の速さなどが要求される。「目で盗む」福本の流儀は「スタート」が決め手。最高のスタートとは、投手が打者へ「投げると同時」にではなく、「投げる寸前」にある。
となると、相手投手のクセをいかに見抜くかが決め手となる。クセにはその人に備わったメカニズムがあり、おいそれと変わるものではない。クセさえ分かれば「寸前」のスタートも容易だというのだ。
▽300投手のクセを見抜く
しかし、厄介な相手がいた。近鉄の鈴木啓示(現解説者)神部年男(現オリックス投手コーチ)の両左腕と強肩捕手の梨田昌孝(前楽天監督)、送球の正確さで知られた有田修三(前近鉄コーチ)の強力バッテリーである。
「最強の相手やったな」
福本はつくづくそう思う。
福本が注目を集めたのは入団2年目の70年である。がむしゃらに走って75盗塁を記録、初のタイトルを手にした。盗塁の面白さに目覚めた年でもある。ところが、鈴木、神部には手を焼いた。打者への投球と一塁けん制の見分けがつきにくい。だからスタートがうまく切れないのだ。
「ベンチにいても必死でクセを探していましたよ。それでも分からなんだ」
二人の左腕投手は福本の観察力を上回る技術をもっていたことになる。
クセを見破るきっかけは美津代夫人の父から盗塁王のお祝いにもらった8ミリカメラだった。3年目のシーズンが始まると友人にカメラを託してマウンドと一塁を結ぶ延長線のスタンドから、セットポジシでの投球の動きを撮影してもらった。苦手なあの二人はとくに念入りに。帰宅すると何度もくり返して見た。
ついに鈴木のクセを突き止めた。秘密は顔の向きにあった。鈴木はセットに入って打者と走者を2度見て投球に移る。一塁方向に顔が向いたまま始動すると打者へ、本塁を見ながら右足が上がると一塁へけん制球を投げた。「これで行ける」。福本は迷わずスタートを切った。
鈴木にすれば不思議でならない。
「あいつ、どうしてスタートがええんやろ。なんで走られるんや。オレが不器用なのかな」
自他ともに許す速球投手である。走者の動きを気にするより打者に集中したいと思う。しかし、ベンチに帰ると、
「福本を出すな。三塁打になるじゃないか」
と叱られた。
「セットの仕方を盗まれているんやないか、鏡をみてあれこれと研究しましたよ」(了)