第2回 イチロー(1)(蛭間豊章=報知)
私がプロ野球の記録室担当だった1992年にオリックス入りしたイチロー。94年、プロ野球初の200安打達成以降は、記録の原稿のネタ探しに奔走させられた。これまでのプロ野球選手像を覆す走攻守すべてに輝く姿を、プロ野球ニュースの映像で見るのが待ち遠しかった。
取材現場で初めて会ったのは96年の日米野球。といってもイチロー担当が取り巻いていており、取材どころではなかったが、打撃練習を間近で見た際に、ジャストミートする際に「ウッ、ウッ」という声を発することを初めて知った。
▽現役大リーガー20人のうち19人が成功を予言
このときの日米野球はドジャース2年目の野茂英雄の凱旋シリーズで、どの球場も超満員のファンが詰めかけた。中でも東京ドームで行われた初戦に野茂が先発した試合は、初回に1番イチローが打席に立った際のカメラのフラッシュの数は見たことのないほどの多さだった。
そのシリーズ、報知新聞ではイチロー、そして松井秀喜の若き強打者コンビの活躍に合わせ、「もし、メジャー入りしたら、成功するかどうか」とのアンケートを来日したメジャーリーガー相手に取った。来日メンバーは野茂だけではない。シェフィールド、Aロッド、ペドロらそうそうたるメンバー。
ボンズは答えてくれなかったものの、右でんぶを痛め4試合欠場しながら11打数7安打2盗塁したイチローに対し、回答してくれた20選手で、「わからない」とした野茂以外19人が、「メジャーでも活躍する」と答えている(松井は20人中15人)。
中でも全米チームを率いたジャイアンツのベーカー監督は「スピード、バッティング・アイ、なにより自信に満ちあふれてプレーしているのがいい。ウチにもあんなリードオフマンが欲しい」と話していた。
▽独自トレーニングでメジャーへ
イチローはその後4年間もメジャー挑戦のために1試合も疎かにせず首位打者を取り続け、2000年11月、ポスティングシステムでマリナーズ入りを決めた。
一時はパワーを付けるために筋肉トレーニングに走ったことはあったが「(筋トレは)パワーがついても、(自らの持ち味である)しなやかな身体が失われる」ことを自覚して独自のトレーニングを積みメジャーに飛び込んだ。(続)