「中継アナの鉄人」深澤弘さんを悼む(9)-(露久保 孝一 = 産経)

◎こっそり美人画を楽しみたい
 深澤さんは2004年の秋、鮮やかな赤い実をつけたナナカマドにおおわれた札幌から東京に戻った。札幌では、長嶋茂雄さんの社会福祉事業参加の代理として記者発表会を仕切り、プロジェクトの内容を思い通りPRできた。
 新千歳空港を飛び立つ前、深澤さんは私の携帯電話を鳴らした。
 「露ちゃん(露久保)に、大事なことを伝えるのを忘れちゃったよ。実は、こういうことは露ちゃんだけにしか頼めないんだよ」
 私は、咄嗟のことゆえ、はっと息をのんだ。深澤さんのマイクの前でしゃべっている姿とともに、長嶋さんの顔が浮かんだ。2人の新しい「大事な」ことかなと瞬間的に思った。
 深澤さんは、続けてこう話す。
 「俺は、昔から野球ばかり考えていたけど、たまにはバット、ボールのことを離れて文化的なことも楽しみたいんだよね。確か、一度露ちゃんに話したことがあると思うけど、自分一人で見て楽しめるもの、露ちゃんは文化部にもいたことあるから、いいものが手に入るんじゃないかと考えて…」
 なんだ、そのことか、と私は独りごちた。思えば、ニッポン放送を退社してフリーになった頃、深澤さんが私にこう言ったことがある。横浜スタジアムに近い中華街のレストランで食事をした時である。
 ▽喜多川歌麿の絵を見てうっとり
 「夕べ、テレビを見ていてチャンネルを回したら、いい絵が現れた。あの美人画は良かった。歌麿の絵を見て、久々に心が晴れる気がした。できればああいう絵を実際に見て楽しみたいね。野球の念仏ばかり唱えていないで、たまにはこんな気晴らしもなくちゃなあ」
 深澤さんに、そういう趣味があるとはこの時初めて知った。喜多川歌麿は江戸時代中期に活躍した代表的な浮世絵師のひとり。美人画の巨匠として知られている。この会話はそれだけで終わり、また野球の話に戻ってしまった。
 深澤さんが札幌を去る時に言った大事なこととは、江戸時代ではなく平成時代の美人画を見たいということだったのである。深澤さんの希望する美人画は、端的にいえば、現代の女優やタレントの美しい「姿」が描写された写真あるいはビデオだった。
▽妖艶な魅力を写した写真やビデオを
 私は、身の回りにそのようなものは持ち合わせていないので、会社(産経新聞)の文化部の仲間に声をかけ、深澤さんが喜びそうな資料を数点選んでもらった。歌麿の画集のほか、妖艶な魅力を写し出した写真十数枚とビデオ1本を添えた。
 深澤さんの名誉のためにいえば、その当時はポルノ映画やセクシー写真などが流行していたが、私が手渡したのは、そんな類のものではなく、より芸術性の高いものである。
 「いやー、ありがとう。自分一人でこっそり楽しむよ」
 深澤さんは、ミスター長嶋のホームランを実況する時のような感激と怪しげな笑みを浮かべた。(続)