「中継アナの鉄人」深澤弘さんを悼む(10)-(露久保 孝一 = 産経)

◎オレを追い越すのは無理だよ 
深澤さんは、アナンサーという職業に絶対的な自信をもっていた。マイクを前にしてのしゃべり口調と話す内容については、オリジナリティーに満ちた話術があった。人は「深澤節」と呼んだ。それだけに、自分は実況アナとして注目されている、人からよく見られている、という意識が強く働き、それが常に自分をレベルアップに駆り立てていた。
 実況する時には、より多くのネタを仕込もうと努めた。放送開始前の取材は精力的に行った。チームの練習中には、バッティングケージの裏に位置して、顔を合わせた監督、選手と雑談をしてはネタを仕入れた。選手からみれば、新聞記者には「新聞に書く」という特徴があり、選手はそのことを念頭に入れて話すが、アナウンサーやディレクターら放送人には「書く」という武器はないので、選手たちは気楽に雑談に応じる傾向にある。そのなかから、深澤さんは上手に選手のエピソードを引き出し、中継のネタを収集するのである。
▽深澤さんの取材の邪魔をしてはいけない
 根本陸夫さんが西武監督のとき、ラジオの野球中継について話をしたことがある。「実況中継っていうのは話を聴いていて面白く、さらにテンポがよく、試合展開をきちんと伝えるのが良きアナウンサーということになる。いってみりゃ、深ちゃんみたいな人だよ」と話したことがある。
そのことを、あとで私(露久保)が深澤さんに伝えると、目をぱちくりさせたがまんざらでもない様子だった。評価を得ている自覚と誇りが、深澤さん自身にあり、そのステータスを守るために努力し行動してきた。本人は口にはしないが、ナンバー・ワンの中継アナウンサーになりたいという意識はあったと思う。
 深澤さんは、長嶋茂雄さんと昵懇の間柄だったことはよく知られているが、他の選手に対しても「平等に」にこやかに話をしていた。神宮球場でのヤクルト戦の実況担当が多く、試合前はヤクルトとともに対戦相手のチームの監督、選手と誰かれなくあいさつし、最近の試合やプレー状態などを尋ねていた。
 深澤さんのその取材姿勢は積極的でにこやかな表情は、私から見て清々しく映ったものである。ところが、そんな深澤さんの行動が、他のアナウンサーにとっては「近寄りがたい」雰囲気に感じてしまうことがあった。深澤さんより少し年下のアナウンサーは、こう漏らした。
 「深澤さんは、その人柄の良さから誰とでも仲良くなって試合前の練習では選手をつかまえて話をする。監督、コーチとは長い時間話すことも多い。われわれにとっては、監督と話をしたくても深澤さんの邪魔をするみたいで身を引いちゃうこともある。そんなこと、深澤さんには言えないけどね」
▽後輩アナに響いた言葉の背後に
 深澤さんが長年勤務していたニッポン放送の後輩アナウンサーは、総じて「偉大なるアナウンサー」と尊敬のまなざしを送る。深澤さんの悪口をいったり、批判したりする局員は誰もいなかった。と私は思っていたが、違和感を持つ後輩アナウンサーもいた。深澤さんから、こんなことを言われたという。
 「自分はアナウンサーとして人に教えることはしない、しゃべり方は人それぞれの個性だから他人の真似をしてもうまくならない。後輩であろうが誰であろうが、俺を追い抜こうと思ってもそれは絶対に無理だ…」
 私はその話を聞いて、深澤さんの自信たっぷりのセリフだと思った。後輩にはややきつい言葉だったが、あくまでプロに徹した職業魂であった、と私は受け止めたい。自分の工夫努力で積み上げた「実況アナの鉄人」としての地位を守るために、いつもこつこつとネタを探し求め、渡り歩いていた男である。自分の道は自分で切り開く、という職人気質の人だったのである。(続)