「たそがれ野球ノート」(13)-(小林 秀一=共同通信)

◎名場面の裏で
巨人V9時代の中心選手だった柴田勲さんの話をじっくりとお聞きすることができた。先日、東京・内幸町のプレスセンターで開かれた野球記者OBクラブの総会でのこと。柴田さんの軽妙なおしゃべりに会場は何度も笑いに包まれた。
甲子園連覇した法政二高時代や巨人入団の裏話、スイッチヒッター転向や、トレードマークだった赤い手袋をつけるきっかけなど話題は盛りだくさんだった。
興味深かったのは1971年の阪急との日本シリーズ第3戦での裏話。王選手が山田投手からサヨナラ3ランを放った試合として球史に残っているが、問題はクライマックスを迎える直前のことだ。九回裏2死、完封目前の山田投手から柴田さんが四球を選び、打者は長嶋選手。最後に訪れた巨人の大チャンス、カウント2ボール1ストライクから盗塁のサインが出て柴田さんがスタート。ところが長嶋選手は次の球をスイングし、力のないゴロになった。幸いにも打球は二遊間を抜けて1、3塁に。打者長嶋がサインを見落としたか、あるいはエンドランと錯覚したか。その直後にサヨナラシーンが訪れるが、ベンチの指示通りに展開していたら試合はどうなっていただろう。
球史に残る名場面でのサインミスで思い浮かんだ舞台が「江夏の21球」、近鉄・アーノルドのサイン見落としだ。ぼんやりとしている記憶を取り戻そうとDVDを引っ張り出してきた。
1979年の日本シリーズ、広島と近鉄が3勝3敗で迎えた第7戦。広島1点リードの9回裏、マウンド江夏。先頭羽田が中前打で出塁し、代走藤瀬に代わる。ここで打者アーノルド。ボール、ボール、ストライクの4球目だ。西本監督のサインは「ヒット・エンド・ラン」だったが、アーノルドは見逃してしまう。スタートを切った藤瀬の二塁のタイミングは完全にアウトだったが、水沼捕手の悪送球で無死三塁という状況が生まれた。
この後、無死満塁、一死満塁と変わり、江夏のスクイズ外しの歴史的シーンへと進んでいく。もし、アーノルドがサインを受け取ってバットを出していたら、歴史は大きく変わっていたに違いない。(了)