「たそがれ野球ノート」(14)-(小林 秀一=共同通信)
◎センチメンタル・ジャーニー
私が通信社記者になって3年目、初めて地方に赴任したのが広島だった。スポーツ全般と県庁を担当したが、3年連続最下位だったカープがその年、球団創設初の優勝を達成。軟球の草野球しか経験のなかった私が野球記者の道を歩んでいくことになった原点である。その後も数えきれないほど取材で広島を訪れ、東京育ちの私にとっては、言わば第二の故郷と言えた。
この夏、2試合の巨人戦観戦を兼ねて久々広島を訪問した。宮島、平和記念公園など観光地も訪ねて、懐かしい思い出を振り返りながら、実は感謝とお別れの気持ちも込めた。後期高齢者に突入したわが身にとって、もうこれで、ここに来るのは最後になるのだろうと予測できたからだ。
マツダスタジアムは16年目を迎える。来るたびにワクワクさせてくれる仕掛けは変わらない。今回は同行者の希望で、2試合とも三塁側スタンドのビジター用応援席に座った。チケットには「カープのキャップやグッズの持ち込みはご遠慮ください」と明記されていた。同様の注意書きはサッカーJリーグで見たことはある。真っ赤に埋め尽くされたスタンドの中で、ビジターチームのファンに安心して応援できる席が確保されている。同行者が岡本選手の本塁打に飛び上がって狂喜できたのはよかったが、おかげで私まで隣の青年に抱き着かれるはめになった。
試合後は流川・薬研堀の繁華街にも足を運んだ。さすがになじみの酒場は姿を変えていたが、よくナイター終了後に通ったお好み焼き屋は健在だった。舌平目のソテーや日向鶏の塩焼きなど風変わりなメニューのある店で、名物の「ウニとクレソン炒め」はクレソンがほうれん草に代わっていたが、昔を思い出させる味だった。
支払いを終えて外へ出ると、目の前に風俗店。かつて仲間の記者がこの店から出てくる若手選手を目撃した話を思い出した。昔は翌日の試合前練習のときにその選手をからかう程度で済んだが、今ならすぐに写真付きで週刊誌に掲載されるだろうなあ、と妙なところで時の流れを実感した。
かくしてハードスケジュールの「送別旅行」は無事終了したが、「最後」とした決意は少しぐらついてきた。「元気があればもう一度来るか」。たそがれじいさんを励ましてくれた3日間だった。(了)