◎カート・フラッド事件とFA(菅谷 齊=共同通信)

日米ともオフになると、FA(フリーエージェント)を行使する選手が話題になる。その度に思い出すのが大リーグのFA制度導入のいきさつ。選手会とオーナー側の激しい労使対立だった。
1970年代の初期、カージナルスの黒人カート・フラッド外野手がトレードを拒否して騒動となった。フラッドは盗塁王で知られるルー・ブロックと1、2番を組む好守好打のオールスター選手でトレードの理由に憤然とした。
カージナルスは戦力強化から黒人選手の獲得を決めた。黒人選手の人数枠が暗黙のルールとなっていたところからフラッドが外されることになった。これにプライドの高いフラッドが怒った…というのが当時の話だった。この一件は「カート・フラッド・ケース」と語り伝えられている。
この事件をきっかけに選手会が動いた。オーナーが選手のすべてを握る「保留条項」の撤廃を求めた。ドジャースのエースが1シーズン契約せず(自由選手)に登板、オフに他球団に移ったなど大荒れになった。結局、大リーグに6シーズンいればFAの資格を得て自由に契約できるという権利を選手側が勝ち取った。
76年オフ、FA資格選手のドラフトが開催され、多くの大物選手は高額契約を手にして移籍した。もっとも注目されたのが本塁打王のレジー・ジャクソンで、ヤンキースは290万㌦で獲得し、黄金時代を築いた。ヤンキースはそのあと、強打のデーブ・ウィンフィールドと10年契約を結んでいる。
大金が乱れ飛ぶことからFA制度は“小切手野球”といわれた。ドジャースのオーナー、ピーター・オマリーはそれを「大リーグは荒波の中にいる」と批判、間もなく身売りした。ドジャースといえば初の黒人大リーガー、ジャッキー・ロビンソンを世に出して今日の多国籍野球をもたらした名門中の名門だった。その後、ドジャースに追従して球団経営から身を引く動きが続いた。
日本のプロ野球がFA制度を採用したのはご存じの通り。いまでは日米ともFA制度が過熱しており、計り知れない高額契約がまかり通っている。財力豊富な大リーグにとっては思うつぼといったところで、日本のトップクラスの選手を毎年のように獲得。日本球界は大リーグご用達の“選手製造工場”に見える。
静かに大リーグから姿を消したフラッドは、野球は資本主義を象徴するスポーツの一つということを身をもって知ったことだろう。(了)

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