「スポーツアナウンサーの喜怒哀楽」(12)-(佐塚 元章=NHK)
◎箱根区間賞と五輪メダル南昇龍の偉大さ
南昇龍(ナム・スンリョン)さんといえば、箱根駅伝区間賞をとり、1936(昭和11)年ベルリン五輪でマラソン銅メダルを獲得し、箱根区間賞と五輪メダリストを両立させた陸上史上ただ1人の選手である。瀬古利彦(早大)、谷口浩美(日体大)、大迫傑(早大)など箱根で区間賞をとって五輪出場した選手はいるが、五輪では瀬古(ロサンゼルス14位、ソウル9位)、谷口(バルセロナ8位)、大迫(東京6位)と、いずれも厳しくいえば惨敗している。
南さんは、日本統治下の朝鮮半島生まれで、日の丸をつけてベルリンを走った。箱根駅伝は明大ランナーとして3回出場し、35年16回大会5区2位、17回大会3区5位、ベルリン後の37年18回大会で3区を走り堂々の区間賞を獲得した。
ところが、南さんの存在は現在の韓国、日本ではあまり知られていない。同じ朝鮮半島出身の後輩・孫基禎(ソン・ギジョン)さんがあまりにも有名である。孫さんはベルリン五輪で金メダルに輝き、南さんは3位。孫さんは表彰台で日の丸を月桂冠で隠した(いわゆる日章旗抹消事件)として日本から弾圧を受け、箱根駅伝のエントリーも認められなかった。しかし、同胞からは英雄視された。戦後、引退後も日韓プロ野球交流やワールドカップサッカー日韓共催に尽力するなどスポーツ交流に貢献し、母校明大から功労賞を受賞している。
2024年12月、南昇龍さんの弟(起龍選手)の孫娘にあたる南河隣(ナム・ハリン)さんはじめ親族3人が来日し、南さんの功績をもっと世の中に知ってほしいと強く願っていた。南さんに関する資料を求めて明大を訪ね、上野正雄学長を表敬した。箱根駅伝の公式記録などを受け取った。関係者がささやかな歓迎会を催し、私も出席させてもらった。南河隣さんらは集めた資料をもとに、6月に本を出版する。
私は、これまで南さんの存在を深く知ることはなかったが、改めて軍靴の足音が聞こえてくる日本と朝鮮半島の時代状況を考えさせられた。もうひとつ、箱根駅伝の価値を認識した。昨今、ますます隆盛している大会の一方で「駅伝から真のマラソンランサーは育たない」など駅伝害悪論がささやかれている。青山学院大の原晋監督は「20キロ走れなくてどうして40キロが走れるんだ」などと反論している。
今回、南さんの記録を調べ「箱根から五輪メダリストが戦前に立派に育っているんだ。両立可能を証明しているよ」とその存在の偉大さを多くの人に知ってもらいたくなった。そして、ルーツを訪ねてきた親族を応援したくなった。(了)