「ONの尽瘁(じんすい)」(20)―(玉置 肇=日刊スポーツ)

巨人監督の王貞治にとって、抑えの切り札で加入したルイス・サンチェはまさに「両刃の剣」だった。1986(昭和61)年4月6日。ヤクルトとの開幕カード3戦目の9回2死から初登板すると難なく来日初セーブ。これを皮切りに5連続セーブを挙げる頃には、ナインから「サンちゃん」の愛称で呼ばれすっかりチームに溶け込んだ。6月24日の阪神戦では2イニングをまたぐ救援で勝ち投手となり、チームを4月20日以来の首位に押し上げた。王にとって、角三男、鹿取義隆ら中継ぎ陣から自在にサンチェにつなぐ「勝利の方程式」が日の目を見た瞬間でもあった。

「このまま(優勝まで)スンナリ行けそうか?」と報道陣から聞かれた王は、そんな気の早い質問を言下に笑い飛ばした。「いやいや。それは、ない。自分の選手時代を含めてそんなにスンナリ行く年はないんですよ。ウチがいいなあと思うときは必ずよそも絶好調なんです。勝負の結果には出ないんですけど、そういうリズムってあるんですよ」

あくまで慎重居士を決め込んだようにみえるが、違う。王はこのとき、チームが好調であればあるほど陥穽(かんせい)に転げ落ちやすい現象を恐れていた。球界にありがちな「好事魔多し」を指揮官に予感させたのも、前半だけで26試合に投げ4勝(1敗)12Sを挙げた立役者、サンチェの存在だった。

7月19日のオールスター第1戦。サンチェはその働きが認められ監督推薦で晴れの舞台に初出場となった。ところが、8回裏に登板したものの連打は浴びるは、四球は許すは…と大荒れだった。1死を取っただけで、そそくさと自分からマウンドを降りて来た。顔は苦痛でゆがんでいた。異変を示す降板に、全セのコーチとして現場にいた王の顔から血の気が失せた。

サンチェは「(傷めたのは)右ヒジだ!」とだけ言って病院に向かい、診断を受けた。「右上腕二頭筋けん炎」で投球禁止2週間。その原因が、チーム合流が3月上旬まで遅れ、突貫で開幕に臨んだ無理がたたったうえの登板過多にあることは、明白だった。王は、サンチェに2軍での調整を命じた。口では「(離脱が)9月じゃなくてよかった。現有戦力でやりくりするしかないよ」と気丈に話したものの、さすがに抑えの切り札を失った心の「揺らぎ」は、隠しきれるものではなかった。

それは、オールスター明けの中日3連戦の2戦目(7月26日)に現われた。試合は延長10回5-4で逃げ切ったが、王はこのとき、監督就任以来最多の1試合に8投手を繰り出す執念の継投をみせた。先発西本聖を6回3失点で見切り、その後鹿取(⅔回、打者1人)、木下智裕(⅔回、同3人)、槙原寬己(3分の0回、同2人)、角(⅔回、同2人)、斎藤雅樹(1回、同3人)、宮本和知(⅔回、同2人)、水野雄仁(⅓回、同1人)と多彩な人材を、右、左、右、左…と規則正しい記号のように送り込んだ。その采配には各自の抑えの適性を実地検分で見極め、抑え不在がチームに及ぼす影響を最小限に抑えたい狙いがこめられていた。

王はこの試合を経て、強気で抑え向きの水野と既に中継ぎで実績のあった斎藤雅の2人を「ポスト・サンチェ」に据え、窮状をしのごうとした。しかるに周囲の対応をよそに、サンチェの復帰は遅れる。両足の水虫の悪化もあったようだが、何より復帰を長引かせたのは、投手コーチの皆川睦雄との「あつれき」だった。

皆川は折にふれサンチェを後楽園のブルペンに呼び、投球練習をチェックしていた。そして負傷の影響から、以前より下がった右ヒジの位置を問題視。フォーム改造に乗り出した。プライドの高い元メジャーはいらつき、皆川に反発を強めていった。その極みで飛び出したのが、この暴言だった。

「アンダースローだったミナガワが、オーバースローの指導ができるのか!!」

サンチェの言動は、グラブを蹴っ飛ばして露骨に王の練習法を批判したクロマティに続く「首脳陣批判」と見なされ、罰金30万円が科された。

復帰したのは、離脱から1カ月以上経過した8月23日の大洋戦。時間がかかった割にストレートの球威、スライダーのキレともに元の状態に戻らなかった。サンチェはチームの中で孤立していった。たまに取材を受けるとスペイン語の下卑たスラングを連発するため、帯同した元阪急のボビー・マルカーノが通訳できず、困り切った。

86年の王巨人は、75勝48敗7分けの勝率.610。一方の広島は、73勝46敗11分けの勝率.613。勝率でたった「3厘」及ばぬ僅差で、王は初優勝にあと1歩届かなかった。

助っ人がスチュワートだったら、とは、言うまい。ただ、サンチェが従順に復帰を早めていたら、あと「1分け」するだけで、逆に勝率で「2厘」広島を上回ることができた。さらに、皆川との間で、チームに「第2のサンチェ事件」が起こることもなかった。

わたしの「たらればゲーム」は今も、頭の中をグルグル回っている。(続)

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