「100年の道のり」(86)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)

◎10球団どころか倍増15球団に
正力松太郎が永田雅一に頼んだ「球団数調整」はとんでもない結果になった。1リーグ最後の1949年(昭和24年)は8球団で、この数は戦後再開した46年から続いており、安定したものだった。
それがセ、パ2リーグになった50年は、セ8球団、パ7球団の計15球団に。倍増である。正力の唱えた10球団を経て大リーグのように2リーグにし、各6球団の計12球団とする構想は、無残な姿になった。
プロ野球創設をホップとし、ステップで1リーグ10球団、ジャンプで2リーグ12球団は、ステップを飛び越えてジャンプしてしまった。しかもパは7球団の奇数だから試合編成に支障が出る。そんなことお構いなしの新参球団が押し寄せたのである。
そのきっかけは毎日新聞の加入だった、ともいえる。毎日の参加に力を注いだのが正力だった。それに西日本新聞にも呼び掛けた。この2社の参画で10球団になる、という構想だった。
戦後、日本復興に必死だった企業の主は、プロ野球にその足掛かりを求めた。プロ野球10球団構想が明らかになると、ウチも、ワシも、オレも、となった形である。新聞社、国鉄や西鉄、近鉄の鉄道会社、映画会社の松竹、捕鯨会社の大洋に加え市民球団広島までが名乗りをあげた。
チーム数が増えれば選手を必要とする。アマ選手を探すよりも既存の選手を獲得する方が手っ取り早いとあって、札束をボストンバッグに詰めて引き抜き合戦を演じた。正力構想などどこかへ吹き飛んでしまった。
最初の両リーグの成績は次の通り(*は新加入)。松竹は前年の大陽(太ではない)。
=セ・リーグ=
1 松竹ロビンス   98勝35敗4分 7割3分7厘
2 中日ドラゴンズ  89勝44敗4分 6割6分9厘
3 読売ジャイアンツ 82勝54敗4分 6割3厘
4 阪神タイガース  70勝67敗3分 5割1分1厘
5*大洋ホエールズ  69勝68敗3分 5割4厘
6*西日本パイレーツ 50勝83敗3分 3割7分6厘
7*国鉄スワローズ  42勝94敗2分 3割9厘
8*広島カープ    41勝96敗1分 2割9分9厘
=パ・リーグ=
1*毎日オリオンズ  81勝34敗5分 7割4厘
2 南海ホークス   66勝49敗5分 5割7分4厘
3 大映スターズ   62勝54敗4分 5割3分4厘
4 阪急ブレーブス  54勝64敗2分 4割5分8厘
5*西鉄クリッパーズ 51勝67敗2分 4割3分2厘
6 東急フライヤーズ 51勝69敗0分 4割2分5厘
7*近鉄パールズ   44勝72敗4分 3割7分9厘
毎日は阪神からゴソッと主力を引き抜いて勝った。被害を受けた阪神は1リーグ時代の強さからキバをも抜かれた。(続)