「たそがれ野球ノート」(22)-(小林 秀一=共同通信)
◎獅子の結束
今年1月に亡くなった鈴木恵一さん(享年82歳)のお別れ会が3月20日、東京プリンスホテルで開かれた。プロ野球界では西武球団の広報担当として広く知られている存在だが、もともとはスピードスケート界でその名をとどろかせた人。500mで2度世界新記録を達成し、世界選手権で5度金メダルを獲得したレジェンドだ。
西武の堤義明オーナーのもとで球団創設時から広報担当となった。清原和博、工藤公康などスター選手とスポンサー企業、マスコミとの間に入る調整役だった。
私は森祇晶監督時代の2年間担当記者としてお付き合いをいただいた。1998年の長野五輪では共同通信がスケート競技の専属評論家として鈴木さんを起用したが、彼が私をライター役に指名。大会の開会前から約1カ月半、行動を共にした。よく食べ、よく飲み、強い身体の人だっただけにいまだに信じられない思いだが、お世話になりました、と献花をさせていただいた。
お別れ会にはスケート関係者のほか交流のあった政財界の人たちも大勢集まって故人を偲んだ。西武球団関係では、東尾修さん、石毛宏典さん、渡辺久信さん、森繫和さん、辻発彦さんらかつての獅子の面々が顔をそろえていた。
開会してちょっとしたハプニングがあった。
宮島泰子さんの司会で開会。まず、スケートの五輪銀メダリストで会の発起人を務めた橋本聖子参院議員があいさつ。国会で修羅場を踏んでいるだけに、台本なしの見事なスピーチだった。
次いで東尾元監督の名前が呼ばれたが、関係者の手違いで、あいさつの依頼が本人に伝えられたのは当日来場してからだった。このトラブルを直前に耳にしていた私は、あまりアドリブのきく人ではないので、どうなることかとはらはらして見ていた。
ところが、東尾さんは堂々と登壇し故人を送る言葉を簡単に述べたあと、石毛、渡辺ら次々と仲間を前に呼び出し、一人一人にお別れの言葉を発言させてその場をしのいだ。
肝の据わった対応に感心させられたとともに、常勝西武を築いた男たちの結束をあらためて見た思いがした。(了)