「大リーグ見聞録」(89)-(荻野 通久=日刊ゲンダイ)

◎審判と監督は永遠の敵?
▽暇さえあればトラブル、退場劇
 今季(2025年)の大リーグは審判の判定を巡るトラブル、選手や監督の退場劇、死球禍が絶えない。「ストライク」「ボール」、「アウト」「セーフ」、あるいは「ぶつけた」「報復だ」で、毎日のようにもめている。MLBでは、早ければ来季からロボット審判が導入される。それが審判の精神状態に影響、もめる判定につながっているのか。
大荒れだったのが6月16日から19日のドジャース対パドレスの4連戦。初戦でド軍のパヘスが死球。このときは何事もなかったが、2戦目にパ軍タティスJrが背中にドスン。直後に大谷が右足にガツン。警告試合になったが、ドジャースのロバーツ監督が猛抗議で退場。3戦目には2死球。4戦目の9回表にタティスJrがまた死球で、両軍入り乱れて再び警告試合。激しい口論の両監督は退場となった。その直後にはスアレスの160㌔が大谷の右肩を直撃した。スアレスは退場で2試合の出場停止処分。
「スアレスが故意に大谷にぶつけたのは明白」(ロバーツ監督)「タティスはここ7試合のドジャース戦で3度もぶつけられている」(シルト監督)
 それだけに大谷の今シリーズ2個目の死球に、怒り心頭でベンチから飛び出すナインを、「来なくていい!」と制した大谷の行動に賞賛の声があがった。
乱闘を未然に防いだ大谷だが、かつてはピッチャーにバットを投げつけ、さらにパンチまで食らわした選手がいる。ビリー・マーチン(1928年~1989年)だ。
▽ブラッシュボールの投手をいきなりガツン
 レッズでの現役時代の1960年8月4日のカブス戦。相手投手のジム・ブリューワーの初球が顔の近くに。その時は我慢していたマーチンだが、次の投球のあと、バットを投手めがけて投げつけた。事情が呑み込めないブリューワーはバットを拾った。そして何食わぬ顔で近づいてきたマーチンに渡そうとした、その瞬間、顔面にパンチを見舞われたのだ。ブリューワーは頬の骨を骨折、右目を陥没骨折。2か月入院となった。
マーチンはもともと「短気、ケンカ屋」と言われ、数々の暴力沙汰を起こした。
監督としては8球団で指揮を執り、ヤンキースでリーグ優勝、ワールドシリーズ制覇の名将だが、審判と度々、トラブルを起こした。大リーグの名物審判のロン・ルチアーノ(1937年~1995年)は著書「審判の逆襲(原題THE UMPIRE STRIKES BACK、1982年刊)」の中で、「(1974年に)マーチンがクビになったのはレンジャースにとって幸いだった。でも、翌年、ヤンキースで監督復帰したのは、自分にとって不幸だった」と書いている。幾度なくやり合い、「ほとんど殴りそうになったこともあった」とルチアーノは告白しているほどだ。
ちなみにマーチンはブリューワーに暴行罪で訴えられた。「手がすべっただけ」とマーチンは主張していたが、1万ドルの支払いを命じられている。(了)

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