「スポーツアナウンサーの喜怒哀楽」(20)-(佐塚 元章=NHK)

◎釜本さん さようなら そしてありがとう
 2025年8月10 日、サッカー界のレジェンド・釜本邦茂さんが旅立った。81歳だった。8月17日行われた第76回早慶サッカー定期戦(等々力競技場)では、早稲田イレブンが先輩の死を悼み喪章をつけた。キックオフ前、早慶全部員、2万人近いスタンドのサポーターが黙祷を捧げた。私も手を合わせた。
 「釜本!シュート!ゴール!」―日本代表通算75得点は、未だ破られていない金字塔だ。中でも私が高校2年生の時、1968年10月のメキシコ五輪、アステカスタジアムで行われた地元メキシコとの3位決定戦のゴールシーンは脳裏から離れない。「左から杉山、左タッチライン沿いドリブルで上がる、センターリング!釜本ゴール前で背中を向けトラップ!身体を反転。デフェンスをかわす。振り向きざまシュート!決まった!日本の2点はいずれも釜本!日本オリンピック初のメダルに大きく前進しました」
 この実況は、後に私の上司となる岩本修アナウンサーである。スタジアムのメキシコ人が釜本さんの華麗なシュートにすっかり感激し「ハポン ハポン」と日本の応援をするようになってしまった。
 釜本さんはプレーヤーとして引退後は、日本リーグ監督、Jリーグ監督、参議院議員、日本協会副会長などさまざまな立場でスポーツの普及に貢献された。私と釜本さんとの個人的お付き合いはワールドカップや天皇杯などで解説者とアナウンサーという関係から始まったが、今から30年ほど前、私が夏の甲子園出張で大阪にいることを知った釜本さんから「うちに飯でも食べにこないか」と誘われ、豊中市のお宅にお邪魔した。奥さんもいっしょに歓談したのだが、釜本さんは食事を終わると、ソファーに座りほとんどお酒を飲まなかった。豪快、酒豪のイメージは全くの思い違いだった。
 いろいろな話題に話が弾んだが、日本リーグ時代、ヤンマー対三菱重工の試合中に、釜本さんと杉山隆一さんが胸ぐらをつかみ合ってあわや!というシーンを思い出し、「釜本―杉山の黄金コンビの夢が壊れそうでハラハラしましたよ」と水を向けたところ、笑いながら「それはグランドでの話、それぐらいの気概でいつもプレーしてたよ」と答えてくれた。「新宿の雑踏に好んでまぎれ、デフェンスを交わす練習をしていた」「通学の西武新宿線では座席に座らずつり革を持たず、両足でバランスをとる練習をしていた」など貴重な話を伺った。私のような若輩アナウンサーに真摯に向き合って実に丁寧に質問に答えてくれた。光栄です。
 最後に、今ではサッカー放送用語としては使われなくなっている言葉でお別れをさせてください。
 「釜本さんこそ、永遠のセンターフォワードでした」―。(完)