「記録の交差点」(27)-(山田 收=報知)
◎第27回 秋山翔吾①
この連載は、現役のNPB記録保持者を主人公と言うかナビゲーターとして、その記録にまつわる様々な数字や思い起こされる人々を紹介するのが狙いである。前回までのシリーズでは、宮西尚生投手を軸としたストーリーを展開してきたが、今回からシーズン最多安打記録を持つ秋山翔吾外野手(西武-レッズ-広島)を起点とした、安打にまつわる物語を書いていこうと思う。
2025年、イチロー(本名・鈴木一朗)が、日米で野球殿堂入りを果たした。7月28日、クーパーズタウンでの殿堂入り表彰式典やシアトル・Tモバイルパークでの永久欠番披露セレモニーでのユーモアを交えたスピーチに「稀代のヒットメーカーの顔だけではないんだ」と思った方も多かったのではないだろうか。
NPB初の7年連続首位打者という看板を背負って乗り込んだMLBでは、メジャー記録を更新するシーズン262安打、10年連続200安打&ゴールドグラブ賞、日米通算4367安打(NPB1278、MLB3089)など、エポックな記録を残している。
そのイチローが、1994年打ち立てたシーズン210安打の衝撃は今でも覚えている。オリックス3年目のこの年、仰木彬新監督に抜擢され、レギュラーをつかむや、69試合連続出塁(NPB記録)など1番打者として、類い稀な存在となる。9月11日の近鉄戦でNPB最多タイとなる1試合4二塁打をマークするとともに、藤村富美男(阪神)が持つシーズン最多安打記録191本(1950年=140試合)に並んだ。20日のロッテ戦でNPB初の200安打を達成、最終的には210安打まで伸ばした。
当時の試合数は130。2000年以前のシーズン安打記録上位者見ると①イチロー210②イチロー193(96年130試合)③ロバート・ローズ(横浜)192(99年134試合)④藤村富美男191であり、いかにイチローの数字が図抜けているかが分かる。
イチローがマリナーズへ移籍した2001年以降、史上2人目の200安打を達成したのが05年、青木宣親の202本。以降07年、ラミレスの204本とヤクルト勢が続く。3年後の10年、マット・マートン(阪神)がイチローの記録を塗り替える214本、再び青木209本、西岡剛(ロッテ)206本と200安打クラブ員が続出した。試合数はすべて144である。
そして2015年。5年ぶりに、NO.1ヒットメーカーの座を奪い取ったのが、秋山翔吾である。2010年のドラフト3位で八戸大から西武に入団。当時の報道によると、ソフトバンクが2位指名で秋山を予定していたという。直前に王貞治会長が「候補の中で、一番飛ばすのは誰だ」と、スカウト陣に尋ねた。「柳田悠岐(広島経済大)です」の返答に方針が変更され、秋山は福岡→所沢に所属球団が変わった。フルスインガーとバットコントローラー、全くタイプの違うタイプの同級生2人は、5年後に因縁の戦いを展開することになる。
イチローもマートンも飛び越えた秋山の5年目のシーズン。「何も武器を持たない状態で、その前のシーズンをプレーした人間が、急に出した記録で、いろいろなことにつながっていった」と本人が振り返る216安打。次回は、その中身を調べてみる。=記録は2025年8月25日現在=(続)
