◎長嶋茂雄氏追悼① (編集 露久保 孝一=産経)

▽ミスターの華麗なプレー
(司会、露久保孝一)=長嶋さんの現役時代は、数々の華やかなプレーでファンを魅了した。〽打って走ってつかんで投げて、茂よ、頑張れ、かっ飛ばせ・・・と大スター石原裕次郎さんが歌ったようにそのプレーは国民の間ですごい人気があった。ミスターのプレーはどんなものだったか?
眞々田邦博(NHK)=「私は、子どものころは野球の試合を見てなかったので、長嶋さんのことはあまり知らなかった。高校生になってテレビを見ると、長嶋さんは三拍子そろった選手だなという印象を強く持った。守りは少しオーバーアクションがあるけど華麗なグラブさばきだった。野球選手のなかで、一番印象に残った選手だ。長嶋さんの人気でプロ野球が発展し、テレビはそのおかげで普及した。そのことは、とても大きい」
小林達彦(ニッポン放送)=「長嶋さんを初めて見たのは、テレビの試合中継だった。なんと派手なプレーをする人だなという印象をもった。空振りをしたときにヘルメットが脱げるほどの豪快なスイングは、すごくかっこよかった。守備では、軽快なフットワークで遊撃手広岡達朗さんの前まで出てゴロをさばいたり、帽子を飛ばしながら送球したりした。走・攻・守すべてにおいて華のあるプレーを魅せた選手だった。アナウンサーの先輩から、長嶋さんはプロ野球選手として自分のためにやるのではなく、見てくれる人たちのためにプレーするんだという信念を持っていたから華やかなプレーができたんだよ、と聞いたことがある。やはりファンに愛されるミスターだったのだね」
菅谷齊(共同通信)=「長嶋さんの打者としてすごいところは、年間安打数が多いこと。現役時代ずっと続いた。これは群を抜いている。一流選手の目安は試合数を超えるヒットを打つことだが、長嶋さんは毎年、それを達成していた」
《長嶋さんは年間試合を超えた年間安打数を現役17年間で15度記録した。超えなかったのは2度だけ。引退前年の1973年でも127試合で130安打と多かった。王貞治さんはプロ22年間で9度超えてなく、張本勲さんは22年間で5度あった》
島田健(日経新聞)=「ロッテ監督を務めた山本一義さんに弊社の交遊抄への掲載を依頼し、長嶋茂雄さんとの思い出話をしてもらった。広島に入団して2年目、打撃のアドバイスを求めて長嶋さんの自宅に行った。しかし、素振りやストレッチをし相手チームの情報をチェックして、山本さんに何も野球のことは話さなかった。山本さんは戸惑った。やがて長嶋さんのようなスター選手でも毎日身体つくりに励み、相手の情報の収集に怠りない。それを無言のうちに教えてくれたと山本さんは言った。長嶋さんの野球への取り組みを見習い、成績をあげることができたそうだ」
司会=天覧試合でのホームランが強烈なイメージとして残っている。昭和34年6月25日、観戦する昭和天皇と香淳皇后さまの前で劇的なサヨナラホームランを打った。長嶋さんは、『陛下は日本の象徴でありカリスマです。私のすべてをお見せしました』と語っている。もう一つの天覧試合、41年11月6日の全日本―ドジャース戦でもホームランを打った。長嶋さんは、日本の伝統、文化の中心であり国民の象徴である天皇を非常に敬う人であり、そんな気持ちが天皇の前で高揚するのだなと感じた」
《天覧試合を含めて「皇室観覧試合」は、全10試合で35打席18安打。通算打率は5割1分4厘。通算7本塁打とともに、群を抜く日本記録である》
〈ながしま・しげお〉1936(昭和11)年千葉県に生まれる。立教大から58年、巨人入団、本塁打王と打点王で新人王に。プロ17年間で生涯打率.305、通算2471安打、444本塁打を放ち、首位打者6回、本塁打王2回、打点王は5回。5度のMVPに。ON砲でV9に貢献。巨人監督を2度経験。野球殿堂博物館入り、国民栄誉賞、文化勲章を受ける。2025年6月3日、肺炎により死去。(続)