「勝手にスポーツコラム」(2)-(船原 勝英=共同通信)
◎心優しい名選手アルトマンが死去
もうとっくに亡くなっているものと思っていた。1970年前後にプロ野球で活躍したジョージ・アルトマンさん死去のニュースに驚かされました。帰国後にシカゴで先物取引(大豆の相場師)をやっていることは報道もされていましたが、日本時代に大腸がんになったと記憶している。92歳という年齢にも改めて驚きました。
1968年から74年までロッテ、阪神でプレーした元メジャーリーガー。さらに、MLB入り前にはニグロ・リーグの選手だったと知って二度ビックリ。NPBと併せ、これら3リーグでプレーしたのは3選手だけだという。ほかの2人は誰なのかという興味も沸きましたが、ひとまずアルトマンのことを知りたくなった。
といっても、ウィキペデアを開いただけなのですが、ここでも驚かされました。はるか昔の「助っ人外国人」がこれほど詳しく紹介(約7000字)されているとは…。”球界の紳士“というような紹介もされていた覚えがありますが、それまでの来日外国人選手と違って、きっちりとした服装で球場入りしたとある。それもセンスがよくて派手な服装でもよく似合ったとか。
入念な練習を欠かさなかった。打者としての実績だけでなく、大差の試合でも、凡打でも常に全力疾走を怠らなかった。求められれば若手へも的確なアドバイスを送り、チームメイトだけでなく、相手チームの選手からも好感を持たれたそうだ。
敬虔なクリスチャンで、デーゲームの週末に教会での祈りを欠かさなかった。193㎝の長身でMLB時代のニックネームは「ビッグ・ジョージ」。チャリティにも熱心だったことから「足長おじさん」とも呼ばれことも。こうした球場内外での模範的な姿勢に、めったに人を褒めない永田雅一オーナーもアルトマンを賞賛したそうです。
ニグロ・リーグに関しては、長く黙殺していたMLBも近年ではかつての名選手をMLBの殿堂入りさせるなど、再評価の動きが強まっている。1960年まで開催され、伝説のサッチェル・ページ投手や「黒いベーブ・ルース」と呼ばれたジョシュ・ギブソン外野手ら当時のMLBを凌駕するほどのプレーヤーが活躍していた。謎の部分も多いそんなリーグでプレーしていたとは、本当に驚きです。実際にプレーしたのは55年カンザスシティ・モナークスでの3カ月ほどだったようですが、その時代のプレーを想像してみたくなります。
59年にMLBのシカゴ・カブス入り。強打の外野手、一塁手として3年目には27本塁打を放ち、オールスターゲームに2度出場。移籍先のカージナルスではあのスタン・ミュージアル、ケン・ボイヤーと中軸を打った。超一流投手、ドン・ドライスデール、サンディ・コーファックス、ボブ・ギブソン、ウォーレン・スパーン、ホアン・マリシャル、ゲイロード・ペリーらから本塁打を放っている。9年間で832安打、101本塁打、2割6分9厘、403打点を記録。日本でも山田久志、東尾修、皆川睦男、米田哲也、鈴木啓示、梶本隆夫、稲尾和久の殿堂入り7投手から本塁打を放った。並外れた技量の持ち主だったことがうかがえます。
NPBではロッテ入り1年目の68年に打率3割2分、100打点で2冠を獲得し、34本塁打を放って前年5位のチームが3位に浮上した推進力になった。70年には優勝の立役者として活躍。7年連続で20本塁打以上をマーク、勝負強い打撃は日本シリーズでも巨人に恐れられた。74年には6試合連続本塁打のパ・リーグタイ記録をマークして絶好調だったが、初期の大腸がんで下血しながらのプレーとなって成績が低下。自分で下着を洗うなどして優勝争いするチームには隠していたが、貧血などで試合中に倒れたことから病気が発覚。帰国して手術を受けたものの、この年のリーグ優勝の輪に加われず、中日との日本シリーズにも出場できなかった。
このシーズンは85試合の出場ながら打率3割5分1厘、21本塁打を記録しました。しかし、翌年には42歳になる年齢も足かせになり、金田正一監督の強い意向で解雇されました。翌年には入団テストを経て阪神入り。五番に勝負強いアルトマンが入ったことで、四番の田淵幸一と勝負する機会が増え、田淵が王貞治を抑えて本塁打王(43本)に輝いたシーズンでした。ただ、年齢からくる視力の衰えなどから2割7分4厘、12本塁打、57打点と成績が低下してこの年限りで引退。NPB在籍外国人では初めて200本塁打(205本)を超えたが、1000安打には15本足りなかった。
74年といえば、船原が共同通信へ入社した年。残念ながらすれ違いでしたが、これほどの選手ならぜひとも球場で生のプレーを見たかった。できることなら、故伊東一雄さんからMLB時代の話などを聞きながら。パ・リーグ広報部長だったパンチョさんだったら接する機会も多かっただろうから、山のようにエピソード語ってくれたでしょう。そんな妄想を抱きながら、日米で確かな足跡を残した名プレーヤー、心優しい足長おじさんの冥福を祈りました。(了)
