第3回 江川の巨人入りトラブルの始まりを見た-(寺尾皖次=テレビ東京)

甲子園のヒーロー、東京六大学リーグ通算47勝。江川卓投手が法大4年生だった1977年のドラフト会議で、太平洋クラブ・ライオンズ(現西武)から1位指名されながら入団拒否。その後、米ロサンゼルスに渡った。“浪人”の道を選び、なんとしても巨人の指名を受けようとしたことから、事態は複雑になった。

▽江川、予期せぬ帰国

江川が渡米している間に、太平洋クラブは球団を西武に譲渡された。西武は江川獲得に向け、猛アタックを始めた。球団社長自らが直接交渉する熱の入れようだった。
それでも江川は首を縦に振らなかった。
翌78年のドラフト会議が迫ってきた。江川はどこに指名されるのか、そしてロサンゼルスのどこでそれを知るのか。その模様を中継しよう、と我々(テレビ東京)は衛星回線を抑え、映像制作をテニスなどで付き合いのある製作会社に依頼した。
ところが、江川はドラフト会議の前々日、突然帰国したのである。私は空港で、江川の後見人、衆議院議員の船田中の秘書に尋ねた。
「江川はどこでドラフト会議のテレビ中継を見るのか、教えてほしい」
すると彼は周りの取材者に聞こえないような小さな声で言ってきた。
「あなたの自宅の電話番号を教えて下さい」
翌朝6時ごろ、秘書から電話がかかってきた。
「午前9時から船田事務所(東京・千代田区)で会見するから、カメラを持ってきたほうがいいですよ」

▽リーグは契約無効、社会的事件に

江川サイドの言葉を受け、すぐ会社に連絡し、スタッフにカメラの手配を頼み、私は会見場所に向かった。
船田氏が会見で発言した内容に驚いた。
「江川君はただいま巨人軍と入団契約しました」
予想外の発表に報道各社は大慌てで、会場は混乱状態となった。
はっきり覚えていることがある。船田氏が江川の名前を「すぐる」ではなく「たく」と言ったことだ。
事態は広がった。船田会見の後、鈴木龍二セ・リーグ会長が会見し、リーグの判断を示した。
「江川君と巨人の契約は無効とする」
すると、巨人はドラフト会議を欠席する挙に出た。会議場は11球団は関係者がそろったのに対し、巨人のテーブルだけが無人で、中継車にいた私の目には奇妙な光景に見えた。
この江川問題はすったもんだの結果、巨人入りして終わった。
後日、私は横浜スタジアムに取材に行ったとき、食堂で江川から挨拶された。大学4年生のとき、法大野球部の合宿でドラフト会議前に江川を取材していたことから、私の顔を覚えていたのだろう。(了)