「記録の交差点」(32)-(山田 收=報知)
第32回 秋山翔吾⑥
長池徳二の持つ32試合連続安打のNPB記録を8年ぶりに破ったのは、彼が想像していた左打者ではなく、5年目のスイッチヒッター・高橋慶彦(広島)だった。1979年6月6日の中日戦(ナゴヤ)からオールスターブレークを挟んで、7月31日の巨人戦(広島)まで56日間の長丁場だった。
期間中の打撃成績は、139打数57安打、二塁打7、三塁打5、本塁打2、打率.410と見事なものである。但し、本人が言うには「記録が始まる直前まで不調だった」そうだ。直近の5試合は、24打数1安打で、記念すべき1試合目の6日も、5回に中前安打を放ったものの、6回の好機には代打を送られている。
それが一転、ヒットパレードになっていく。33試合の安打数の内訳を見てみると、3安打=6、2安打=12、1安打=15で、4安打以上はないが、54.5%がマルチヒットとなっている。ちなみに内野安打は6本。内野安打1本のみだった試合は、6月24日の中日戦で、三沢淳からマークしたものだった。
快足で知られる高橋だけに、期間中には「バントヒットを狙ったらどうか」というアドバイスもあったという。「セーフティーバントは考えたこともなかった」高橋は、その理由を「そんなことまでして、失敗したら格好悪い」とヨシヒコ節で説明した。
前任の記録保持者・長池は「左右どちらでも打てるのは大きい」とスイッチヒッターの有利さを指摘する。もともと右打者の高橋にスイッチ転向を勧めたのは、当時の広島監督・古葉竹識である。赤い手袋でスイッチ旋風を巻き起こした巨人・柴田勲を見て「ええな」と思い、高橋にスイッチを命じたという。
筆者は巨人・松本匡史のスイッチ転向の時代を取材しているが、それは、気の遠くなるような努力とスイング数の積み重ねだった。当初は走力を生かすため、作った左打席では「とにかくゴロを転がせ」というコーチングを受けていたと思う。一方の高橋は左でも強いライナー性の打球を打つことを心掛けていた。自身の「スイッチは誰でもなれる。センスより数です」の言葉通り、まさに朝から晩までバットを振り続けた結果が新たなスイッチヒッター像を作り上げた。「あれだけ練習したから、試合で不安になることはなかった」と振り返っている。
期間中、最初の安打が出た打席を調べてみると第①打席=13、②=7、③=9、④=3、⑤=1。最後の5打席目でマークした7月13日の阪神戦が、記録達成における最大のピンチだった。
この年、江川卓とのトレードで阪神入りした小林繁を全く打てず、一ゴロ、左飛、四球、一ゴロと牛耳られていた。「(山本)浩二さんが『ヨシヒコ、俺が塁に出て、お前に回してやるからな。必ず打て』とベンチで声を掛けられた」という。言葉通り、9回に打席が巡ってきて、中前安打。試合には敗れたが、25試合連続安打となり、記録を繋げた。
7月28日の大洋戦で平松政次、佐藤道郎から計3安打。31試合連続でセ・リーグ記録を更新し、更に翌29日も野村収、竹内宏彰(前年まで広明)から初回の右翼への二塁打を皮切りに3安打と、連日の猛打賞という爆発力で、長池の日本記録に並んだのだ。
次回は46シーズン破られていない33試合連続安打にまつわるお話を。=記録は2025年シーズン終了時点=(続)
