◎長嶋茂雄氏追悼④ (編集 露久保 孝一=産経)
◎国民的英雄とは何か?
―司会(産経・露久保)「長嶋さんは、新聞、通信社、テレビ、ラジオの報道陣に囲まれ、いつもにこやかに応対していた。内心は、話をしたくない記者やアナウンサーがいたはずだが、その人たちにもいやな顔をせずにあいさつした。打撃・守備プレーでは華麗さとともにスマイルがあった。そんな目立つ姿が、新聞や雑誌とともにテレビ、ラジオで全国に伝えられ、ミスター・プロ野球と呼ばれる国民的英雄になった。国民的英雄とは、どういう存在なのか」
山田収(報知)「誰からも愛される男という意味では、長嶋さんはナンバー・ワンだった。新聞記者はもちろん、一般ファンからも特別に愛される選手であり続けた。私自身は、監督としての長嶋さんしか直接に見ていないが、初対面でも気さくに話をしてくれた。そういう経験のある記者は多い。まさに人間的な魅力にあふれた人が、国民的英雄なんだろうなと感じている」
―司会「長嶋さんこそ国民的英雄であるという声は、球場ばかりでなく、街のいたるところで聞かれた。この座談会の席にいる記者、テレビプロデュサー、アナウンサーはみなさん、『長嶋さんは文字通りの国民的英雄である』と称賛の言葉をそろえる。そこで、長嶋茂雄はなぜ国民的英雄なのかという点に絞って、最後に私が意見を集約したいと思う。
長嶋さんは、球歴を振り返れば、いつも時代の頂点にいた人であった。その英雄伝説は、大学時代から始まった。長嶋さんが立教大に入ったころ、東京六大学は野球の花形であり、職業野球と称されたプロ野球よりも人気があった。その華の六大学リーグ戦で通算8本塁打という当時の最多記録を作って一気に人気が高まった。昭和33(1958)年、巨人に入団して開幕戦で国鉄の金田正一投手から4打数4三振のデビューとなったが、これが話題を呼んだ。この年、新人王をとり、翌年は国民をあっと驚かす神業を演じた。天皇陛下の前で劇的なホームランを打ったのである。昭和天皇・皇后両陛下が後楽園で観戦された史上初の天覧試合、阪神戦で村山実からサヨナラ本塁打を放った。テレビニュースで全国に伝わり、国民にはこの上ない華麗な大役者のような「演技」に映り、長嶋さんを将来の野球界を背負って立つ選手と強く意識した。その期待に応え、長嶋さんは巨人の中心打者として首位打者、本塁打王、打点王争いを続け、多くのタイトルを獲得していった。日本が敗戦から立ち直り高度成長期に向かう時代のニューヒーローとして、長嶋さんは英雄的存在になった。長嶋さんは、巨人V9の立役者である。王貞治さんとの強力な『ON砲』で勝ち続けたことも、人気を継続させた大きな要因となった。長嶋さんは勝負強いバッティングが魅力だが、空振り三振してヘルメットが吹き飛ぶような豪快さもあり、華麗な守備と積極果敢な走塁もファンを魅了した。試合中でも、試合が終わったあとでも、その中心には長嶋がいるのだ。古典から英雄たちの物語で描かれるのは『人間の理想像』であり、その人間は強さ、美しさ、勇気、忍耐、犠牲を伴った能力者であるといわれる。ミスターをみれば、その理想像に当てはまる。だから、日本中に時として長嶋フィーバーが巻き起こり、英雄のプレーを見たいという社会現象を作りだしたのだ、と私は強く感じる。国民的英雄とは、国民誰もが知っていて親しみを感じ、愛され続けた男なのである。長嶋さんに、プロ野球をここまで発展してくれてありがとうございます、といって国民はミスター・プロ野球に別れを告げたと思う」(最終回)
