「いつか来た記者道」(58)-(露久保孝一=産経)
◎生誕100年、司馬遼太郎×真田重蔵
文学界を中心に、マスコミで人気作家・司馬遼太郎の生誕100年が話題になっている。令和5(2023)年8月7日が、その生誕記念日に当たる。新聞やテレビで司馬の数々の名作とともに、彼にまつわるエピソードが取り上げられ、関心が一段と高まっているという。
生誕100年といえば、プロ野球界にも「名選手」がいる。司馬のような注目度はないが、「元祖二刀流」ともいえる男、真田重蔵である。こちらは1923(大正12)年5月23日の生まれだ。
真田は松竹に所属し、2リーグ分裂後の50年に最多勝の39勝をあげ沢村賞を手にした。この39勝は73年たった現在でも、セ・リーグの最多勝として残っている(39年の巨人・スタルヒンの42勝は1リーグ時代)。打者としても真田は同年、73試合に出場し172打数54安打で打率.314、2本塁打と活躍し、松竹の優勝に貢献した。
▽いまなおセのシーズン最多勝記録
当時は戦争の影響を受け出征する選手も多く、各球団の戦力は不足がちだった。そのため投手と野手の掛け持ちができる選手は、チームに数名いた。しかし、本格的に両刀遣いを続けたのは、この真田と野口二郎(阪急など)だけだったといわれる。
真田は、和歌山県の海草中時代は、野手で猛烈なノックでしごかれた。投手になると、野手型のフォームを矯正するために長い板を腕にあてがって包帯で巻いたり、投球の時に鍬(くわ)を左足の下に置いたり恐怖の練習を課された。「野球をやめよう」と思いながらも耐えて試練を乗り越え、投打で一流の技を磨いた。
真田は打者としては、2023年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のMVP男、大谷翔平のような派手な成績は残していないが、規定打席不足ながら3年連続で打率3割を記録するなどチームにはかけがえのない選手だった。12年のプロ人生を、投げて打ってファンを魅了した。今なお「特訓が生んだ39勝」の名を残す伝説の野球人である。
文豪・司馬は、真田より2カ月半後に大阪市で生まれた。1966年、「ペルシャの幻術師」で作家デビューして以来、多くのベストセラー歴史小説を生んだ。読者が選ぶ「好きな司馬作品」は1位から3位までは「坂の上の雲」「竜馬がゆく」「燃えよ剣」の順になっている(司馬遼太郎記念財団のアンケート調査)。私(露久保)も「産経の大先輩」である司馬史観に魅せられ、出版著書はほとんど読んでいる。司馬が産経編集幹部に対しておこなった社内講座では、私も胸弾ませて聴き惚れた貴重な経験がある。
▽江夏も栗山も惚れた「燃えよ剣」
最近のプロ野球選手の多くは、司馬遼太郎の名前と作品名を少年の時から知っている。小学校の教科書に司馬が紹介されており、「二十一世紀に生きる君たちへ」という文章にも触れているからである。
かつての剛腕投手、68年(昭和43年)にシーズン401奪三振の記録を打ち立てた江夏豊さんは、司馬の大ファンである。多くの司馬作品を読み、その中でも大好きなのが「燃えよ剣」だという。幕末維新の動乱を強い意志で駆け抜けた新選組の土方歳三に感銘を受けた。西武の栗山巧外野手は2021年の春季キャンプ中にこの「燃えよ剣」を読んでいる。
司馬作品では多彩な才能を持った偉人が数多く登場する。野球界においては投げてよし、打ってよしの二刀流や怪腕、豪打、怪盗の「サムライ」たちが続々と偉人になって歴史を作ってほしいものである。(続)