「ONの尽瘁(じんすい)」(29)―(玉置 肇=日刊スポーツ)

1987(昭62)年4月10日、後楽園での開幕戦。就任4年目の王貞治率いる巨人はいきなり監督就任1年目となる星野仙一の中日と相まみえた。新たな「遺恨カード」と、マスコミがあおり立てたのも無理はない。対巨人となると現役時代から闘志をたぎらせる星野の存在に加え、相手の4番打者に、前年86年オフのトレード騒動で巨人に横やりを入れる形で獲得した三冠王・落合博満が控えていたからだ。
対する巨人の4番に、原辰徳の名はなかった。前年シーズン終盤の左有鉤(ゆうこう)骨骨折からの復帰をかけ、大事を取ってスタメンを外れていた。ファンにとって驚きはそれだけではない。開幕投手に、前年16勝のエース江川卓ではなく、前年7勝と不完全燃焼に終わったうえ、投手コーチ・皆川睦雄との確執もからみトレード要員の色を濃くした西本聖が抜てきされたのだ。
王は常々、開幕投手とエースの関連について、こう定義付けていた。「エースは何が何でも投手陣を引っ張り、勝たなければいけない。だから開幕投手はエースでなければならない。うちでいえば、江川…」と。
しかし、指揮官自身が腹をくくり、チームの「変革」を掲げたシーズンだけに定義も不変というわけにいかない。王は開幕投手決断への経緯を振り返って、こう言った。「誰より何より、このオレが今年は一番勝ちたい。そして、同じように、どうしても…と思ってるピッチャーがいる。オレはその男にかける!」。
その男こそ、西本だった。王は、逆境に置かれてこそ持てる力を発揮する西本の男気に活路を求めた。チーム内での人望や信望はさて置き、自己の立場を冷静に分析して、不遇な立場から昇華するためにどうあるべきか?その最適解が、西本にとって「何が何でも勝ち、信頼を取り戻す」ことにあるのは明らかだった。
ドラフト外入団からのし上がり、みずから座右の銘とする「雑草魂」の具現者。対極にあるライバル江川への対抗心からも絶対負けられない開幕となった。それまで勝ち星で江川をしのいだことはなく、年俸面でもたった1シーズンだけ僅差で上回っただけの西本にとって、前年からの失地回復を図り、江川ら主戦と同じステージに返り咲く好機を得て、みずからの野球人生のすべてをかけて臨むことに、何のためらいもなかった。
王の思惑通りだった。西本は中日打線を散発4安打に抑え、完封勝利(6-0)を飾った。開幕試合の完封勝利は巨人では実に、30年ぶりの快挙だった。しかも落合との対決は「全球シュート攻め」。4打数で中前への単打1本に抑えこんだ。中日打線はこの宝刀・シュートに手こずり内野ゴロは21個を数えた。西本はヒーローインタビューで言った。「開幕投手だと言われたとき、何が何でも勝たねばと思った。こんな大舞台に、もう1度立ちたかった」。
落合は、西本のシュートにすっかりリズムを崩されたのか、セ・リーグ移籍1年目のこの年、タイトルを1つも取れなかった。シーズン後、西本はこう言って振り返っている。「あのとき開幕が江川さんだったら、僕みたいな偏ったピッチングはしなかったはず。(シュート攻めの)僕の攻め方があったからこそ、落合さんは無冠に終わったのだろう」
これは推測になるがー。西本と確執関係にあった投手コーチの皆川からすれば、形だけの「手打ちゴルフ」くらいで後腐れなく西本を開幕に推しただろうか?答えは「否」だ。キャンプ、オープン戦の調整を取材した記者として言うが、江川の開幕はまず動くまい、と見ていた。おおよその予想を覆した西本の抜てきは、名前や実績にとらわれず、選手の機微を巧みに操った、王が初めて見せる起用の妙だった。(続)